やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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ワークとライフのアイデンティティ
 昨日の研究会では、日本の賃金研究の第1人者である楠田丘先生の講義を聴きました。タイトルは「過去100年間の日本の人材政策とこれからのあり方」でした。楠田先生は87歳ですが、背筋がぴんと伸びていて心がとても若々しい方でした。ご高齢で活躍される姿を見ていると、ドラッガーを髣髴させるものがあります。ちなみに、先生は60歳定年には反対で、「定年は自分の意志で決めるもの」という持論をもたれています。

 楠田先生は賃金については5段階があり、その一番下の土台は年齢給であると言います。今日本の会社ではあまり見られなくなった年齢給ですが、年齢給を重要視する考え方の根本には、人間誰しもが人生において成し遂げるべきライフサイクルビジョンがあります。




人は大人になり結婚して、家庭を築き、子供を生み育てる



この人間の営みとして当たり前のことが、ないがしろにされ経済、仕事が優先されるようになってしまっているのが今の世の中です。残念ながら、現在の日本ではワークライフバランスは仕事のほうに大きく傾いており、ライフの側にある生活、結婚、家庭、教育などは荒廃してしまっている現状です。現在の社会では、ある程度のお金がなければ上記のライフサイクルビジョンを実現させることはできません。

 
 今は生き方が多様な時代と言われています。確かに豊かな社会には多様性は重要でしょう。しかし、結婚や家族、子育てなどの基本はぶれるべきではないと思うのです。結婚や家族、子育てといった人間の生き方の基本の上に、多様性は築かれるべきです。基本を否定することを、多様性や自由と勘違いしている人が多いのが今の世の中ではないでしょうか。

 さて、ワークライフバランスとアイデンティティについて考えてみると、特に男性のアイデンティティは職業によって規定されることが一般的です。職業は所得の源泉ですから、間接的には「お金」によって規定されると考えることもできるでしょう。これは、ワークの方がライフよりも優先されることを意味します。私も、知らず知らずのうちにそのような考え方になっている自分に気がつくきます。「あなたのアイデンティティは何か」と聞かれたら、



やっちゃばに勤めています。


ではなく、


○○な妻の夫です。
3人の子供のパパです。



と自然に言えるようになれたらいいなあと思います。


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年頭所感
 新しい年2010年を迎えました。遅ればせながらあけましておめでとうございます。昨年は公私ともさまざまなことがありましたが、ことしはどんな年になるのでしょうか。

 昨年は、個人的には新居の購入という前進はしたものの、それ以外の部分ではなかなか思うように物事を進めることができませんでした。真摯さとチャレンジ心をもって今年は目標を達成していきたいと思っています。

 先日、大学時代の友人から年賀状をいただきましたが、4人目の子供が誕生したと記されていました。4人の子育ては大変だと思いますが、年賀状の文面からは素直な喜びの思いが伝わってきました。私は何かとても大切なものを教えられたような気がしました。

 今、子供手当が注目されていますが、その是非をめぐってさまざまな議論がなされています。


経済的不安があるから少子化問題が起こる
子供手当よりも先に雇用機会が重要だ
子供手当の財源が問題だ
子供手当はばらまきにすぎない
女性の働く環境を改善すべきだ
子供を多く生めばいいっていう問題ではない


 実に多くの専門家、有識者といわれる人たちがブログなどで持論を展開していますが、そのほとんどが経済的な観点からしか、子供の存在を見つめていないのではないかと感じることがあります。すなわち、子供手当という言葉が、独り歩きしてしまっているのです。子供手当の背後には少子化の問題があり、非婚化の問題があります。そして、もっと深いところには、

子供を産み育てることの価値
結婚の価値
家族であることの価値


に対して真摯に向き合う問題があります。ここの部分は定量化できないので、個人的な問題として避けられてきました。定量化できるのは、生活基盤に直結する経済的側面しかありません。豊かさを客観的に表せるものは、定量化できるものしかないので、どうしても経済的側面でばかりに私たちの意識は行ってしまいます。

 私が先にあげた価値を仮に定性的側面と言うならば、この定性的側面と経済の定量的側面は、箱の中身と外装の関係にあるということができます。箱の中身は外からは見えないので、ブラックボックス状態です。

 この関係はまたソフトとハードの関係であるとも言えます。20世紀はハードの時代でした。ITも科学技術もハードに過ぎません。ハードだけでは決して幸せになれないことはだれもが知っている事実です。もちろん、ハードは重要で、ハードの欠陥がソフトに重大な影響を与えるので、経済的側面の改善は欠かすことはできません。従って、ソフトとハードの両面セットでの問題解決が必要です。

勝間さんの『やればできる』に思う
 久々に書店を訪れた際に、目に留まったのが勝間さんの新しい本である『やればできる』。紹介文に、「香山リカさんの『しがみつかない生き方』に対する反論として」という言葉があったので、思わず買ってしまいました。ここのところの勝間さんの著書は、結構マンネリ化しているように思えるところがあり、私はあまり魅力を感じなくなってきています。

 
 自らの成功パターンを分析→一般化→文書化→書籍


というのが勝間さんの著書のほとんどのパターンです。この方程式にはある前提が存在します。


 勝間さんは成功者である


という前提です。もともと、世の中には数多くの成功本が存在します。ただ成功者の成功本は1冊が限度ではないかと私は思います。2冊目、3冊目と同じような成功本を出したところで、飽きてしまうからです。それ以上の成功本を出しても飽きられないのは、著者の分析力(視点の多様さ)が豊富な場合です。

 勝間さんは経営コンサルタントなので、ある存在、事象に対して、さまざまな観点から分析する力に長けています。彼女の言葉でいえば、「フレームワーク」力です。このフレームワーク力を使って、何通りもの著書を生みだすことができるのです。ただ、最終的には


勝間和代は成功者。勝間和代は正しい。


という結論に辿りつくのです。登山に例えると、勝間山(さん)という山の頂上に登る道が幾通りにもあるようなものです。どのような道を登っても、最終的には勝間さんという絶対的な存在に行きつくようになっているのです。おそらく、彼女に批判的な人はこの結論のあつかましさ、しつこさが嫌なのだと思います。


起きていることはすべて正しい』は、勝間さんの特徴が最もよく表れた代表作だと思います。そして、このタイトルは勝間さんの考え方の本質をつく非常に象徴的なタイトルです。


シングルマザーが成功していくまでの軌跡はすべて正しい


香山リカさんに対する反論という反応を見てみると「いかに自分が正しいか」と主張することに対するこだわりが見え、彼女の心の根底に強烈な劣等感のようなものがあるように思ってしまうのです。


シングルマザーになって貧乏になるリスクよりもシングルマザーになるリスクの方を心配しよう


「とんがればとんがるほど」幸せから遠ざかっていくのではないでしょうか。書籍やメディアの中で、ますます「とんがり」続ける戦略をとる彼女の心に、距離を置こうとする人が出てきても不思議ではありません。

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挫折を乗り越えるには
 一昨日の夜から、関東地方は激しい雨に見舞われました。夜、報道番組を見ていましたが、夜の12時前、激しい雨に混じって、ヘリコプターのけたたましい音が聞こえてきました。そう、ヘリコプターは市橋容疑者の乗せた車を追って、東京駅から私のうちの近所にある行徳警察署へ向かっていたのでした。

 今回の事件について、私はあまりよく知りませんが、秋葉原の事件を連想します。なぜなら、市橋容疑者の経歴や家庭環境を見ていると、


大きな挫折感


を感じるからです。


両親が医者という裕福な家庭
千葉大学を中退
大学中退後も親の援助で生活



確かに大学を中退して、まともな就職もしていませんが、十分に恵まれた立場です。おそらく、頭もよく、そこそこの能力を持っていたはずです。逆に、「自分は本当はできるんだ」という自意識過剰に陥っていたとも考えられます。


挫折とは理想の自分と現実の自分のギャップを認めること

なので

挫折自体はよいことでも悪いことでもなくひとつの事実です。

問題は、この挫折に対してどのように向き合うかということです。挫折をばねにして奮起して成功する人もいれば、逆に自信を失って劣等感と不信感の塊になってしまう人もいます。それでは、どうして乗り越える人とそうでない人がいるのか。先天的なもの、あるいは家庭環境などによって育った人格的なものが原因なのでしょうか。


 私は他者との関係性があるかないかというのが、原因だと考えています。他者との関係性は、自分を引き上げる、あるいは悪い方向へ落ちていくのをとめる「フック」のような働きがあると思います。このフックは、「自分の内面を認めて応援してくれる」存在です。おそらく、市橋容疑者にはこのフックのような存在がなかったのでしょう。

「働く」と自己
 やまいもさんのブログ『大人の人生はおもしろいか』の「仕事とエゴ」というエントリーに啓発されて記事を書きます。やまいもさんはこの記事の中で経済評論家、山崎元氏のブログでの発言を取り上げています。

 「日本社会は働くことが人々のアイデンティティーになり過ぎている」という指摘は正しい。失業の際の喪失感が異様に大きいし、仕事を失うと自分を失ったように思うことが多いというのもその通りだろう。付け加えると、世間も、失業者・無業者に厳しい。こうした社会的な価値観は解毒する必要がある。働くことは大切なことかも知れないが、本人は好きで働いているのだから殊更に立派なことではないし、働かずに食えるなら、それはそれで大したものであって、他人がとやかく言うべきものではない。(『王様の耳はロバの耳』より)

 このことから、日本人の自殺率の問題や勤勉さの特質といったものを連想しますが、

「働くこと」=日本人のアイデンティティ

という観念はどこから生じてきたのでしょうか。勤勉が美徳とされるのは、むしろ西洋のプロテスタンティズムにおいてのほうが、はっきりしています。キリスト教においては原罪という日本にはない概念があります。

原罪とは神から離れてしまった状態

 神に帰るためには労働が必要であるとしたのがプロテスタント(特にカルヴァン派)の考え方です。ここで重要になるのは、労働はあくまで個人と神の間で生じる義務であることです。したがって、労働は神とつながるための手段に過ぎないということになります。そして、他人との関係は神を親とする兄弟姉妹の関係であるということです。相互扶助の精神の背後には、この揺るぎない論理があります。ここにはしっかりとした個人主義と兄弟主義が神を媒介として確立しています。

 日本には、キリスト教の言うところの神が存在しません。神との関係性がないため、ふらふらとした個人主義になってしまいます。このふらふら感は不安定な状態で、他者との関係性の中で安定を図ってきました。つまり絶対的な理念の根拠、よりどころがないのです。したがって、相互扶助の拠り所も、情緒的な良心です。また不安が大きくなると、集団主義の安定に頼ろうとしやすいです。

 このように揺れるアイデンティティを安定させるために、周囲との共通価値観である「働く」=「職業」を自ら第1のアイデンティティとするのではないでしょうか。また、兄弟姉妹という概念がないために、「助けてもらうこと」を恥とする意識が強いのではないかと思います。

 上記のようなことがすべてだとは言いませんが、日本人の仕事とアイデンティティの関係に少なからず影響しているのではと考えています。



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