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やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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注意力のない人
 「バリバリン」とガラスの砕け散る音が。取引先の職員が、フォークリフトのマストを誤って高く上げすぎて冷蔵庫の蛍光灯を大破させました。私はその光景を見ながら「やはり」と思ってしまいました。

 注意力が足らない人

「注意力がある人かどうか」を見極める指標として、やっちゃばで働く私は、フォークリフトの運転の仕方を見ています。フォークの運転は車の運転よりも注意力が必要ですが、作業用機械ということで結構雑に扱われます。物損事故はよく起こりますが、事故を起こす人のほとんどが

おとなしそうですが、ぼおーっとしている人

です。なぜ、ぼおーっとしている人の事故が多いのか、それは

今なすべきことに心が集中できないから

です。状況判断も注意力も、心が今に集中していれば、十分に発揮されるものです。心が先のこと、あるいは別のことにとらわれているから、今に意識を集中することができないのです。怖いのは、この心のメカニズムが毎日続くこと。


何年経っても成長できない人

は間違いなくこのメカニズムにはまっている人です。理想を持っていても、理想ばかりに意識が行って、目の前が見えないために、いつまでも前に進めないなんてことになるのです。

ミスをした時のことを思い起こせば、そこには必ず心が別のことに捉われている自分がいたことに気づくものです。すべては意識の問題。こう考えると、小さなミスが大きななミスに発展する可能性は結構大きいということがわかります。

今回の事故は他山の石であると強く思わされました。
数字について
 有効求人倍率、完全失業率ともに悪い状態に大きく変化しているようです。総務省が発表した12月のデータによると、

完全失業率が4.4%
有効求人倍率が0.72倍

 完全失業率について。前月(11月)と比べ0.5%上がっています。0.5%で39万人の増加なので、0.1%増加すると、約8万人の失業者が増えることになります。パーセントだと実感がわきませんが、具体的な数字をあげられると、いかに大変なことであるかが実感できると思います。

 中国の失業率約10%(正確なデータではありません
 中国の失業者は約1億2000万人

このような情報を聞いたとき、どちらがインパクトが大きいでしょうか。多くの人が後者の方がインパクトが大きいと思うはずです。10%といっても、いくらの10%なのか、計算したらどうなるのか即座にイメージすることができないからです億単位の数字のことを普段から計算している人は少ないと思います。こういったレベルの数字を即座にイメージできるのは経営者、高所得者、あるいは学者ぐらいではないでしょうか。

 今日は住宅ローンの申し込みに行ってきました。1月23日に金利が下がりましたが、0.1%の金利の差で100万単位の差が生じます。数字の%から、即座に具体的な数を計算、イメージできるようなることが重要です。


数字を把握できれば行動、交渉に主導権を握ることができる

逆に

数字を把握できなければ、後手に回り、相手にコントロールされる
独断的 天才の出現を考える②
 今日は「天才の出現を考える②」です。天才は先天的か、後天的かということを考えてみたいと思います。先回の記事に対して、やまいもさんから「美が創造性を刺激するのはなぜなんでしょうかね」というコメントをいただきましたが、その時の答えが今回のテーマのヒントとなります。

 結論から言うと、天才の出現には先天的な要素と後天的な要素が必要です。別な言い方をすれば、天才の出現は様々な条件がそろってはじめて可能であると。様々な要素とは、

先天的な要因
①遺伝子的なもの
②運勢的なもの

後天的要因
①時代
②環境(場所)
③教育
④出会い


などがあります。先天的なものは種のようなものです。天才の種は後天的な要因の影響を受けて育ち花開いていきます。このことは種が真善美の価値を判断し追求する力を生まれながらにして持っていることを表しています。したがって、先天的な要因がなければ天才の出現はありえないと言うことになります。

 ところで、後天的な時代環境について、面白い発見があります。天才は必ず秀才の群れの中から出現してくるということです。例えば、孔子は春秋戦国時代の諸子百家の中から生まれました。また、ソクラテスはギリシャ哲学の中から、モーツァルトは音楽の中心ドイツオーストリア文化圏から生まれました。当たり前と言えばそれまでですが、これはすごいことだと思います。なぜなら文化や技術が発達したはるか後世の現代にまで彼らは多大な影響を及ぼしているからです。

 現代は情報化時代で、世界中のどこにいても美しいもの、善いもの、本当のことなどに触れることができます。ブログではカテゴリーごとに、各人が情報を発信しています。価値観は多種多様です。今の状況はある意味、諸子百家、ソフィスト(ギリシャ哲学の弁者)たちの活躍した状況にそっくりともいえます。(かなり無理があるかもしれませんが)したがって、このなかから天才が現れるかもしれないと私はひそかに期待しています。(半分暴論です

 
独断的 天才の出現を考える①
 「天才は美しいところに生まれる」『国家の品格』の中の藤原さんの言葉です。藤原さんはこの本の中で、結果論(つまり天才が生まれたところを調べてみると結果的に美しい光景の場所だった)しか示していませんので、生意気にも私がその原因、理由について考えてみたいと思います。

 このヒントになるのが「芸術」です。美しい自然、美しい建築、美しい音楽に触れるとき人は美を感じ喜びが生じます。美の刺激は人間の創造性を刺激するので、人間は美の世界を自分も創造したくなるのです。小さな子供が、絵を描いたり、歌ったりするのはこの創造性を発揮しようとする自然な行動です。この性質は大人になっても消えることはありません。ただ、大人になると様々な利害関係を考えることが多くなってくるため、相対的に美を創造しようとする意識が小さくなってしまうのです。(完全に利害関係に対する思いに覆われてしまっている人もいます)学生なら受験や周りとの比較、大人なら生活、お金儲けにまつわる様々な(雑念)が、私たちの意識の大部分を覆ってしまいます。本来は、誰もが芸術家なのです。

 それでは、芸術家や科学者(数学者、物理学者などいわゆる理系の学者)とそうでない人の違いは何でしょうか。それは美に対する純粋な思いがあるかどうかです。別の言い方をすれば、雑念で美に対する純粋な思いが覆われているかいないかです。芸術家と数学者は一見相反する概念のように思うかも知れませんが、美に対する真摯な姿勢は同じです。

芸術家・・・美を表現する人。美の法則を演繹的に発展させて芸術作品を生み出す。
科学者・・・美の原理を探求すること。自然の中から美の法則を帰納的に求める。


 絵を描こうとすると、必ず形や色彩の法則性といったものに突き当たります。それを使って表現するのが芸術家、その法則性を探究していくのが科学者であるとも言えます。このことは、芸術家も科学者も出発点は同じであることを示しています。アインシュタインやシュバイツアーが優れた音楽学者であることは有名です。彼らはクラシック音楽の中心地ドイツで生まれました。こうした例を見ると、美をふんだんに感じることが出来る環境は天才の出現と関係がありそうです。

 さて、ここでひとつの疑問が生じます。天才は先天的なものか、それとも後天的なものか。つまり、天才は美しいところに出生するのか、それとも天才は美しいところで後天的に育つものなのかという疑問です。この疑問については長くなりそうなので次回にします。


弱者の視点
昨晩ニュースを見ていましたが、「進むアメリカの貧困」と「冷凍インゲン」の問題に私はある共通の思いを抱きました。それは「世の中には確かなものがあるように見えているだけ」ということ。

 アメリカの貧困。今回の金融危機で、私たちは改めて、アメリカの負の部分を見ることができるようになりました。アメリカの貧困という問題は、金融危機が起こる前からずっと続いてきて、ここにきて表面化したに過ぎないのですが、実態を見るとショックを受けます。アメリカはもともとピューリタン(清教徒)が宗教の自由を求めて建国した国なのですが、なぜこのようになってしまったのかと思ってしまいます。キリスト教という宗教背景があるアメリカでさえこのような結果になっているのですから、無宗教の日本人がアメリカのマネをしていけばどのような結果になるのかおぞましい限りです。アメリカの強者を目標にすることは悪いことではありませんが、「良い種と悪い種」を自分の目で判断する習慣をつけておかないと、「悪い果実」が知らず知らずのうちに実ってしまいます。

 冷凍インゲンの問題。警察が事件としていち早く動いたのが印象的でした。先回のギョーザ事件の時とちょっと違うなと思いました。これは先回の事件が製造過程でのミスではなく、人為的なテロだということがわかっているからでしょう。「中国食品は危険だ」という画一的な世論にならないようにという政府の指導があるのかもしれません。それでも、多くの国民が「やはり中国食品は危険だ」と思いこむのを避けることはできないと思います。なぜなら、中国の事情や現場をほとんどの人は知らないため、既成のイメージを判断基準にするしかないからです。これはアメリカの例にも当てはまりますが、いいことも、悪いことも私たちは既成のイメージを基準に判断しているものです。既成のイメージを信じて思考がストップしてしまう人は、石の中に埋もれている宝を見つけ出すことは難しいでしょう。逆に、日本の食品だっていつテロの標的になるかわからないものです。

 既成概念はともかく、定説だって疑ってみると結構いろんな発見があるものです。人間は不安定よりも安定を望む本能があります。疑うということは、結果を掘り返すようなものですから、自らを不安定な状態に置くことになり居心地の悪さを感じることになります。既成概念や定説を無条件に受け入れる方が居心地がよいものです。時間がかかるかも知れませんが、玉石混合の中から、正しいもの、価値のあるものを見つける能力を培うことが大切だと思っています。この能力を身につければ、弱者であっても、強者に物怖じすることがなくなるでしょう。