やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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色あせない価値
 先日、ピアノの見本市に行ってきました。クラシック好きの私が子どものころやっておけばよかったと思うことの第1番目がピアノでした。音楽で自分の思いを表現できたらどんなにすばらしいだろうか。長女がピアノをやりたいと言い出したので、私は決意しました。ピアノは現在の楽しみであると同時に未来への投資です。

 さて、会場には新品、中古のグランドピアノ、アップライトピアノ、電子ピアノが数多く展示されていました。価格を比較すると

①グランドピアノ
②アップライトピアノ
③電子ピアノ

という順番になります。電子ピアノはグレードが一番高いものでも、中古のアップライトピアノの値段に及びません。楽器は消耗品ですが、電子楽器はアナログ楽器に比べるとより消耗品的であるといえます。

 さらに、業者の人と話していると、ヤマハやカワイなどの一流メーカーのアナログピアノでも、最近の新品は壊れやすいとのことでした。一流メーカーとあって、価格は高いのですが、コストダウンのためにどのメーカーも中国で製造しているとのことでした。部品も昔は木製だったものが、プラスチック製に変えられていたりと、コストダウンをしなければ商売そのものが成り立たないといった厳しさが伝わってきます。

 同じアナログピアノでも、その製造方法や部品は昔のほうがはるかにアナログ的だと言えそうです。中古でも保存状態の良いものはいい価格がついていました。楽器の価値は、使いやすさでもオプションでもありません。単純に新旧の軸だけでは評価できないものがあります。


時間がたっても色あせない体験、価値


を創り出せる、そんな人生、仕事ができたらと思いました。
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秩序と自由
 先日の連休。家族で『佐倉くさぶえの丘』へ遊びに行ってきました。印旛沼の湖畔にある歴史のある野外体験型施設&公園といった感じのところです。子供は山に行きたいと言っていたのですが、遠出は渋滞に巻き込まれるので、近場の森を選んだのでした。

 この公園にはミニ鉄道があるのですが、なんと線路の長さは1100メートルもあるのです。小さな細い線路が森の中に張り巡らされていて、踏切も随所にあります。子供が集う公園に行くと必ずこのようなミニ鉄道があります。なぜなのか線路を見ながら考えてみました。

 まず第1に鉄道は子供が喜ぶものです。我が家の子も女の子ですが、飛行機や自動車よりも鉄道の方が好きです。そして、その関心は列車そのものよりも、レールの方に多くあります。したがって、文字通りレール(鉄道)に子供は関心を抱くということになります。これは大人についても言えることです。

 よく、田舎の野山などに車で出かけた時、ふと気がつけば道路と並行して線路が走っている光景を見て思わず心が躍る経験がないでしょうか。この思いは田舎で僻地であればあるほど強くなります。

これは、

自然(無秩序)の中にある法則性

を見出すことに喜びを感じる人間の本性の表れだと思います。法則は秩序と規律を持っています。線路でいえば

枕木が規則正しく並んでいる
線路の幅は一定
何よりも列車は線路の上しか走れない
脱線してはいけない


ということになります。このことは別の角度から見ると制約条件ということになります。制約条件があれば当然自由に好き放題ができません。好き放題にするということは制約条件、すなわち秩序、規則を破るということになります。

人生というのは自由に自分の線路を描くようなものです。どこにどんな線路を作ってもいい。ただ、線路自体が秩序と規律、法則性を備えたものでなければ、線路と呼べません。制約条件の中で自由な創造性を発揮していく喜びを鉄道は子供たちに、また大人にも教えてくているように思います。

CIMG0283.jpg

自己との対話
 口論はどこから生まれるか。それは対話が成立しないところから起こります。対話の第一歩は相手の話を素直に耳を傾け、受けた内容に対する意見を述べる姿勢から始まります。今回の記事は、今日体験した対話が成り立たないいらだたしさとやまいもさんのブログ『大人の人生はおもしろいか』の「対話と自己」というエントリーに触発されて書いてみます。

 厄介な人、それは対話が成り立たない人のことです。対話が成り立たない会話は疲れるだけで、話はどこまでいっても平行線をたどるだけです。厄介な人の特徴として

①話を素直に聞かない
②話をすり替える
③同じことを何度も繰り返して言う


があります。このような人は

自分の胸に手を当てて考える

といったことをしない人なのでしょうか。彼らは「真実の姿」を敢えて見ようとしません。なぜなら、そこには必ず自信のなさやトラウマあるいは不都合といったものが存在するからです。

真実を見つめることができないということは、自己との対話ができないということです。自己との対話とは

第1レベル 反省、思索
第2レベル 瞑想
第3レベル 祈り


のように段階があると思います。私はまだ第1レベルです。厄介な人に影響を与えるようになるためにはさらなる自己との対話が必要だと思いました。
 
太宰治と情緒
 太宰治がここのところちょっとしたブームになっているようです。先日図書館に行ったときのこと。太宰治の特集が組まれていました。どうやら、今年の6月は太宰治の生誕100周年に当たるそうです。ところで、太宰治という人物が生誕100周年記念と、その業績を評価されるに値するかどうかということは人によってずいぶんと意見が分かれるのではないでしょうか。

太宰作品を学生のころはずいぶん読んだものでした。『斜陽』や『人間失格』と言った晩年の果てしなく絶望的な作品はさすがに好きではありませんでしたが、中期のユーモアと情緒豊かな作品を好みました。新潮文庫の黒で統一された表紙がとても魅力的で、商店街に昔からある書店の、ちょっと古ぼけた文庫棚から黒の太宰シリーズを手に取るのは無上の喜びでした。

 あれからもう十数年以上がたちましたが、学生時代のあるときから私は文学に別れを告げました。文学とくに日本の小説は人を幸せにできないと思うようになったからです。音楽や美術と文学は一線を画していると私は考えています。

 論理よりも情緒

太宰の作品に対して、私は論理よりも情緒を求めていました。太宰の作品は本当に情緒的だと思います。情緒的な要素は人の心に潤いを与えます。情緒的な要素のない世界はきっと理屈的で殺伐とした世界になるでしょう。しかし、論理のない情緒は、その針が負の方向にどんどん振れていくと、無秩序、すなわち退廃的でアナーキーな方向に暴走してしまう危険性もはらんでいます。

 太宰作品を好む日本人は情緒的な存在なのだと思います。太宰治の根強い人気をみて、私の心に浮かんだのが、次の2冊の新書です。

藤原正彦『国家の品格』(2005年)
鈴木光司『情緒から論理へ』(2009年)


 両者ともに、論理と情緒のバランスのとれた状態が望ましいとした上で、現代の日本人、社会には前者は論理よりも情緒、後者は情緒よりも論理の必要性があると説きます。確かに、

情緒のない論理だけの世界は潤いがない
論理のない情緒だけの世界は秩序がない

とてもいびつな世界になるでしょう。だから、私はどちらの主張も正論だと思っています。情緒が先か、論理が先かというのは「鶏が先か卵が先か」と言うのと同じ問題です。

論理は方向性
情緒は波動


であり、どちらも必要です。ただ、太宰作品を見ると、論理の大切さを感じてしまいます。今世の中は不況であり、全体的に先行きに不安を感じている人が多いと思います。そういう意味では、今の時代においては鈴木氏の主張のほうが説得力があると思います。

国家の品格 (新潮新書)国家の品格 (新潮新書)
(2005/11)
藤原 正彦

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情緒から論理へ (ソフトバンク新書)情緒から論理へ (ソフトバンク新書)
(2009/03/17)
鈴木 光司

商品詳細を見る






WBCとマネジメント
 昨日、独立開業研究会の例会に参加しましたが、その中で、WBC(韓国に敗北)とマネジメントについて自由に考えをまとめて発言するエクササイズがありました。

 私の考え

精神面と戦略面において韓国の方が上回っている


精神面
韓国のほうが勝利への意気込みが強い
どうどうと我々の方が強いと断言する韓国人
自信の韓国、重圧の日本
ここ一発の勝負強さの違い

戦略面
この大会への準備期間の違い
この大会にあわせた体調管理の違い
原監督は初舞台

結論 精神面と戦略面での韓国チームのマネジメントが勝っていたから

ここに上げた私の意見はあくまで推量に過ぎません。WBCにあまり関心を持っていなかったので、昨日の夜の時点で、日本が負けたことを知りませんでした。

このエクササイズの目的は、話の組み立てと仮説を立てることです。私の意見は、結構月並みなものではないかと思います。



 さて、日韓戦から私が感じたことは、準備することの大切さと自信の大切さです。次にあげるその根拠は客観的には正しくないかも知れませんが、私が素直に感じた世界です。(ここでは事実はあまり意味をもちません)

準備することの大切さ
韓国はこの大会に向けて前から準備してきたようです。実力だけでは勝てない。準備が大切。そこからちょっと飛躍しますが、愚直な努力の重要性を感じました。実力で簡単に成功するよりも、愚直に基本を何度も実践して成功するほうが美しいし、何よりも私のような凡人の学ぶべきところが大きい。

自信

私がこの大会で最も気になっていたこと。それは、大会前の韓国国民の強い自信です。日本人から反感を買うようなあの自信のコメントの背景は何なのだろう。あのような強い断言をできる人間に私は憧れます。仮に韓国が負けたとしても、あのように断言できる韓国人をすばらしいと思う気持ちは変わらないと思います。



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