やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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人間性から農業を捉える
 ここ1週間の間、農業に関するレポートを3件書き上げました。そして、今日は発表。農業の人事労務について、ドラッカーのマネジメントをベースにまとめました。

 レポートを書いていて思ったこと。今農業ビジネスがマスコミや出版などで取り上げられる機会が多いですが、その多くが

農業に企業経営学を取り入れよう

というものです。確かに、企業経営学を取り入れて成功している農業経営体は多くあります。しかし、農業の特色を考えて、農業風にアレンジして企業経営学を取り入れなければ意味がありません。農業と工業、商業は並列に並ぶ関係ではないと思います。

また、農業で儲けよう

というのも、手段と目的が逆になっているのではないかと思います。ドラッカーでいうと、人間の労働には2側面があります。

人間性(働き甲斐)と仕事(効率性)

儲けることばかりを考えると、仕事(効率性)ばかりを追い求めるようになります。こうなってくると、わざわざ農業を選ぶ理由がなくなってきます。

農業には次のような基本的な価値があります。

無題

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共感覚
 前回のエントリーで展示会にはしばらく行かないと言っていましたが、次の日に気持ちを入れ替えてもう一度行ってきました。

 関心をもったテーマは『共感覚』です。味覚は単独で食べ物の味を感じるのではなく、視覚や嗅覚の影響を受けながら、その食べ物の味を感じるというのです。たとえば、黒いパッケージのチョコレートは相対的に苦味を感じる。また、レモンの香りのついた塩水は酸っぱく感じるということです。このように、単独で感覚器官が働くのではなく、たがいに影響を及ぼしながら働くのでこれを共感覚と言います。
 
 この味覚と嗅覚の関係の研究あるいは嗅覚とおいしさの関係は今注目されているテーマのようですが、今後、味覚だけではなく、五官のすべての関係を研究して、いかに快適な生活を送るかということに関心がシフトしてくるのではないかと思いました。

 これに関連して思ったのが、NLP(神経言語プログラミング)です。NLPは、「神経」すなわち「五感」を介して認識された物事や記憶した体験が私たちの現在の行動に影響を与えているということを分析して、行動を組みなおすあるいは改善する心理プログラムです。NLPは結構今はやりのようですが、もうひとつ何か根本的なものを取り入れればもっと有効になるのではないでしょうか。小手先の技法や知識だけでは限界があるように思います。
消費者の感性
 たまたまテレビをつけると、ガイアの夜明けで農業の特集が放送されていました。規格外野菜と雑穀の有効利用の話。市場価値のないものに、付加価値をつけること。農業の収益を上げるためには、この付加価値をつけるとことと、いかに廃棄ロスをなくすかということとが大切です。

 ところで、商品の価値を計るとき普通はお金という物差しによってその価値を判断します。

価値=価格(市場の原理)

一般的にはこの考え方は間違ってないと思います。商品の値段は市場で決まると言われていますが、厳密には売り手の価値と買い手(市場)の価値が関係性を結ぶことによって決定されます。「これくらいで売りたい」という売り手の思いと「これくらいなら買ってもいい」という買い手の思いが折り合うところで決定されるということです。

 ここで生産者と消費者の関係性について考えたいと思います。生産者が手塩に掛けて作ったりんごを直接消費者に売るとしましょう。1コ150円で売りたいと思った場合、それが妥当な金額だと思う買い手とそう思わない買い手の両方が存在します。これは買い手の価値観が異なるために起こります。

それでは次のような場合はどうでしょうか?

 10人の人が150円でりんごを買ったとします。果たしてこの10人のりんごに対する価値観は同じでしょうか?たわわに実っているりんごの樹をイメージして食べる人、日本のりんごは世界でいちばんおいしいんだと貴重な思いで食べる人、体にいいんだと思って食べる人、ただのりんごと思って食べる人、りんごという商品に対する価値観は多種多様です。ここでは、

価格≠価値

になっています。つまり、商品に接する思いの世界には市場の原理が働かないのです。私はこの価格を抜きにした商品に対する感じ方のことを「消費者の感性」と定義します。消費者の感性とは「いいもの、わるいもの、」を見分ける能力だけではなく、商品の背後にある思いやストーリー、商品の存在価値までを感じ取る能力だと思います。この能力は食品に対してだけではなく、あらゆる商品に対しても言えるのではないでしょうか。

 今は消費者が強い時代です。消費者を大切にすることは当然ですが、消費者のわがままがまかり通るのはどうかと思うのです。消費者のわがままを聞いていると、供給者がつぶれてしまいます。供給者は消費者の感性を育てる努力を、そして、消費者は自らの感性を磨く努力をする時代がこれからは必要ではないかと思うものです。

食品リテラシー
 大手スーパーが食料品のディスカウント店を新たに展開しているようです。ここのところの不況で、少しでも安く買いたいという需要を見込んでとのことだと思いますが青果卸売業者の立場から言えば、「またか」という気持ちです。

 「安く売ればいい」顧客サービスを考えたときに、当然この視点を外すことはできません。ところが、安く売るということは、いろいろなしわ寄せもまた引き起こしてしまうものです。

① 卸売業者、産地の収益を圧迫する
② 価格のバランスが崩れる
③ 農業を衰退させる
④ デフレスパイラルを引き起こす


 低価格ばかりを追求すると、供給者に負荷がかかるだけでなく、消費者の購買力も弱めてしまうことになります。供給サイド(中間流通に関わる者も含む)には、収益が低下、低賃金、モチベーションの低下、長時間労働などの影響を与えます。また、消費者側には、安くて当たり前という意識が根付いてしまいます。その結果高くていいものが売れなくなり、安くなければ売れない、安くなければ買わないという負の循環が生まれてしまうのです。また、供給サイドで働く人たちの生活レベルが低下することで、消費者としての彼らの購買力も当然弱ります。これは、何を意味しているかというと、経済活動に「一人勝ちはない」ということを意味しています。低価格路線で「一人勝ち」しようとすると、周りの経済力を弱め、結果的には「一人勝ち」できないようになってしまうのです。

 卸売業者を通さずに、産地直送すれば、収益は圧迫されないだろうと考える人も多いと思います。実際に流通オペレーションをやってみるとわかりますが、産地→小売店というダイレクト流通には、商流と物流の2側面があります。商流は簡略化できても、物流あるいは、それに付随する作業を簡略化することはできません。これは物量が大きくなるほど難しくなります。したがって、物流コスト、作業コストは必ず発生するので、トータルコストはそれほど変わらないのです。

 さて、農産物、水産物は自然の影響を受けるので、価格が上下します。高いときは高く(もちろんできるだけ安く売る努力は必要です)、安いときは安く、売って買うのが自然だと思います。食は誰しもが生活するために欠かすことができないので、低価格での供給は重要です。それでも、いつも低価格という意識が当たり前になると、作り手の苦労や食品の品質、価値に対する意識が低下してしまいます。別の言い方をすれば、物事を考えなくなるということです。即物主義と言ったらいいでしょうか?昨今の食品の問題の根っこは、食料があまりにも安易に手にはいるため、食品に対して何も考えなくなっていることが原因だと私は考えています。農産物、水産物をはじめとする食料品の価値をもう一度見つめ直す時が来ているように思います。普通の学校では食料の価値についてほとんど教えられていないのが現状です。最近、「学校でも金融教育が必要、金融リテラシーを身につけよう」と声高に叫ばれていますが、「食品リテラシー」の方がずっと重要ではないかと思ったりするものです。
食糧の自給率アップは必要か
  内閣府は15日、「食料・農業・農村の役割に関する世論調査」の結果を発表した。食料品を購入する際に国産品と外国産のどちらを選ぶかという質問に対し、国産品との回答が同様の質問をした00年調査比7.1ポイント増の89.0%に上った。(毎日新聞)

 ここのところ中国食品の問題もあって、国産志向が強まっているようです。「国産品だと安全」という認識が果たして正しいかどうかはわかりませんが、一律的にこのような意識を持つのはちょっともったいない気もします。海外の方が美味しいものもあるし、有機栽培が日本より普及している国もあります。私は前職で、オーストラリアの生牡蠣を都内のシェフに売り込んでいましたが、「外国産はダメ、ましては生牡蠣となるとなおさらだ」という反応が結構多くありました。石油化学工場が林立する広島湾の牡蠣と、人がほとんど住んでいないオーストラリアの海の牡蠣のどちらが安全でしょうか。

 安全性とともに今話題になっているのが食糧の自給率です。日本の自給率は40パーセントをきったのでまずいというのが、大方の意見のようですが、なぜ自給率が低いのが問題なのでしょうか?「国際情勢の変化によって、食糧の輸入が困難になったときどうするのか」という不安があるからですが、私はあまりこの発想が好きではありません。今、世界の食糧難は深刻です。したがって「世界の食糧難のために日本の食糧の生産量を上げたい」というような前向きな発想の方がいいのではないかと思っています。

 グローバル化が進む中、逆に1国にこだわることに意味があるのだろうかという疑問を持つことがあります。中国やインドなどの経済力が台頭したため、ものづくりで世界をリードしてきた日本の地位が脅かされています。だから国力にこだわるのだと思いますが、世界に持てるものを与えるという観点に立てばもっと楽になるのではないでしょうか。あまりにも性善説的な発想かもしれませんが、性悪説的な発想に立っている限り、ちょっとした改善はできても、革新的なイノベーションは起こらないでしょう。今の世界の状況はビッグバンのようなイノベーションを持ってしか変えることはできないと言うのが素直な気持ちです。



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