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やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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良い格差と悪い格差
 先日、ワールドカップの南アフリカ大会を前に、テレビで南アフリカの現状が放送されていました。アパルトヘイトから黒人が解放されてから15年くらいになる今でも、貧富の差が激しく犯罪が絶えないとのことでした。

 黒人たちは平等を手にしました。それでは、機会の平等も手にしたのでしょうか。

人権的には機会の平等を手にしているかもしれません



貧困のため、経済的な機会の平等は手にしているとはいえません。


これは、行き過ぎた自由競争によって生まれる格差拡大によって生まれる負の現象です。格差の拡大による貧困層の増大は社会の治安を悪化させ、全体的な活力を衰えさせます。結果的に、富裕層の生活も脅かされるようになります。そういう意味では富裕層はもっと政治や格差問題に眼を向けるべきではないでしょうか。さも自分たちには関係ないといわんばかりに、政治や社会福祉に関してはまったく関心を持たず、ひたすら仕事の範囲だけでの自己実現を図ろうとする富裕層や富裕層予備軍が増えているように感じます。

今回の総選挙の日、ビジネス系のブログランキングを総覧して、どれくらいの人が選挙について書いているか調べてみました。私の印象ではかなり少ないのではと感じました。ビジネスは経営のカテゴリーに入るので政治経済とは関係がないかもしれません。しかし、経営は外部環境の影響なしには成り立たないのが事実です。

 さて、資本主義社会では格差は不可避です。したがって、ある程度の格差が生まれるのは仕方がないことです。自由競争による活力のある社会の恩恵を享受するためには、自由な市場に裁量権を認めるがこと必要です。しかし、行き過ぎた格差は、貧困層の増大を招きます。ここに、政府、行政の役割があります。小さな政府にして、すべて民間に移譲してはいけないのです。

市場原理派もしくは市場の強者の中には弱者に対して次のような意見を言う人がいます。

すべて自己責任
努力しないのが招いた当然の結果
タックスヘブンは当然
付加価値の低い労働をするから金持ちになれない


なるほど、部分的に見ればこの意見は間違っていません。しかし、社会的全体という大きな観点から見れば、正しいとは言えないのです。人間は一人では生きていけないものです。利益は社会がもたらせてくれるものです。また、すべての人が知的労働だけしたらどうなるのでしょうか。肉体労働はすべてロボットに任せるのがいいでしょうか。

付加価値の低い労働者は働く必要がないのか
働くとは人間にとってどういう価値があるのか


格差が引き金となって、この本質的な問題を考えざるをえないところに来ています。

現代のサロンは
 ちょっと趣味の話になりますが、ここのところゲルハルト・オピッツのブラームスピアノ独奏曲全集を何度も聴いています。日に日に秋の気配が深まる中、ブラームスのピアノ曲ほど心に響くものはないでしょう。と同時にリストのピアノ曲もよく聞いています。ラプソディックなリストのピアノ曲も秋の優雅な趣を伝えてくれます。

 この2人は19世紀の半ば同時代に生きた大作曲家です。リストの方が20歳以上年上で、ブラームスが生まれ故郷のハンブルグから出て、初めて演奏旅行に出かけて訪ねたのがサロンに君臨するリストでした。リストは当時音楽界の寵児で、彼の周りには多くの出世したい音楽家や女性が集まっていました。田舎から出てきた内気な青年ブラームスは、この自己顕示欲の強いリストを中心とするサロンの体質に、嫌悪感を抱きリストのサロンを去りました。彼が向かったのは、自己顕示的なリストの音楽とは全く違った芸術観を持ったシューマン家でした。大作曲家のシューマンと妻で大ピアニストのクララとその子供たちで構成されるシューマン家が、小さいながら暖かく飾り気のない、何よりも芸術の本質を追究するブラームスにとって理想のサロンだったのです。

 名の売れていない作曲家にとって、サロンは憧れるものです。サロンに入り、気に入れられば名前を早く世に売ることができるからです。実績と実力があれば、サロンと対等に渡り合えるかもしれません。しかし、実力と実績が中途半端なものであれば、サロンに呑まれてしまい、等身大の自分以上のものが独り歩きしてしまいます。また、自分自身がそのような虚像に満足してしまうため、成長が止まってしまう危険性もあります。ブラームスは自分の芸術(人生)の目標を果たすためには、どのように身の振りの舵を取ればいいか、本心の声に従ってまっすぐに行動したのでした。彼がリストのサロンに入って満足してしまったら、現在の私たちは、深い内面性をたたえた彼の作品を耳にすることはできなかったかもしれないのです

 今の時代にも、多くのサロンがあります。サロンを構成するメンバーの属性としては、お金持ちのサロン、知的な人たちが集まるサロン、また空間的には、リアル世界のサロンとネット上のサロンがあります。こういったサロンの中心には必ずカリスマ性のある人物が存在します。ここまではいいのですが、そのサロンにお金や名声、人気、女性といった存在が重要なファクターとして流通するようになると、ちょっと考えた方がいいのではないかと思います。

地味でも大きく育つために何をするのがいいのか、限られた人生経営資源を有効に使いたいものです。

CIMG0261.jpg
市原の夕方の田園風景

複雑系
 昨日は休日。長女の幼稚園の行事『お父さんと一緒に遊ぼう』に参加してきました。この行事は毎月行われていますが、私は今回初めて参加しました。幼稚園児の数は約250人。この行事に参加したお父さんは私も含めて5人。平日で5人参加というのは多い人数のようで、女手しかない幼稚園の先生たちから喜ばれました。
 2時間ほど子供たちと遊ぶだけのイベントで、参加する前は子供に受け入れられるだろうかと心配していましたが、案ずるより産むがやすし、子供たちと触れ合う中であっという間に時間が過ぎ去っていきました。

 さて、このイベントに参加したお父さんたちと話していて、ちょっと驚いた話。

 すぐ隣の幼稚園では年中児童がとても少ないそうです。隣の幼稚園の方がJRの駅も近く、住むには便利のいいところですが、その地区の一軒家やマンションはほとんど20年以上前の80年代前半に建てられた古いもので、若い夫婦があまり住んでいないようなのです。賃貸住宅もほとんどないので人の転入転出の動きが少ないようです。

 この現象は長女の通う幼稚園にもあてはまり、この幼稚園の学区は2つの地域からありますが、片方の地域は80年代前半に建てられた大規模団地で、片一方はここ10年で住宅やマンションが建てられた地域です。児童の居住地域の比は3対7で来年から、新地域の方に小学校ができることになっています。

格差は大都市と地方だけではない

と感じた瞬間でした。浦安市は湾岸地区に大規模マンションが次々と建設されて人口がどんどん増えていますが、一方では上記のような地域も抱えているのです。このことは、他の都市にもあてはまることだと思います。

物事を一律にとらえることはできない

業界についても、会社についても、地域についても、ある集団の中に格差が生まれているのが現代社会ではないかと思います。商売でも行政サービスでもターゲットを絞ったピンポイントなサービス、対応が望まれます。真実を捉えて、分析し、的確な意思決定と政策(戦略)実行する力が必要です。

地引網のような、一律的な通り一辺倒のサービスは今後廃れていくでしょう。そういう意味で、地方分権は必ずなしていかなければならない課題の一つだと思います。