やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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独断的 天才の出現を考える②
 今日は「天才の出現を考える②」です。天才は先天的か、後天的かということを考えてみたいと思います。先回の記事に対して、やまいもさんから「美が創造性を刺激するのはなぜなんでしょうかね」というコメントをいただきましたが、その時の答えが今回のテーマのヒントとなります。

 結論から言うと、天才の出現には先天的な要素と後天的な要素が必要です。別な言い方をすれば、天才の出現は様々な条件がそろってはじめて可能であると。様々な要素とは、

先天的な要因
①遺伝子的なもの
②運勢的なもの

後天的要因
①時代
②環境(場所)
③教育
④出会い


などがあります。先天的なものは種のようなものです。天才の種は後天的な要因の影響を受けて育ち花開いていきます。このことは種が真善美の価値を判断し追求する力を生まれながらにして持っていることを表しています。したがって、先天的な要因がなければ天才の出現はありえないと言うことになります。

 ところで、後天的な時代環境について、面白い発見があります。天才は必ず秀才の群れの中から出現してくるということです。例えば、孔子は春秋戦国時代の諸子百家の中から生まれました。また、ソクラテスはギリシャ哲学の中から、モーツァルトは音楽の中心ドイツオーストリア文化圏から生まれました。当たり前と言えばそれまでですが、これはすごいことだと思います。なぜなら文化や技術が発達したはるか後世の現代にまで彼らは多大な影響を及ぼしているからです。

 現代は情報化時代で、世界中のどこにいても美しいもの、善いもの、本当のことなどに触れることができます。ブログではカテゴリーごとに、各人が情報を発信しています。価値観は多種多様です。今の状況はある意味、諸子百家、ソフィスト(ギリシャ哲学の弁者)たちの活躍した状況にそっくりともいえます。(かなり無理があるかもしれませんが)したがって、このなかから天才が現れるかもしれないと私はひそかに期待しています。(半分暴論です

 
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増える農産物の輸出
 昨日は、小難しい論理を展開してしまいました。実益のない論理を考えることが好きなので、ついつい暴走して独りよがりな内容に偏ってしまいがちです。こういった話はたまにだけということで、続きはちょっと先に延ばしたいと思います。

 さて、ここのところ食品の安全、食糧危機問題が毎日のように目につきます。日本の食糧自給率は39%(2006年)となっていますが、このことも頻繁に取り上げられています。日本は食料を輸入ばかりしているという印象を多くの人が持つかも知れませんが、実は日本の農林水産物、食品の輸出額は大きく伸びているのです。農産物では米、りんご、いちごが畜産では牛肉が大きく伸びています。輸出相手国としては中国、香港が著しく伸びています。

無題
           農水省HPより

 中国では、日本の果物は美味でとても人気があるそうです。知り合いの中国人が言うには「中国のりんごはりんごではない」ということです。福建省出身の彼らですが、日本の果物に味で対抗できるのは桃ぐらいとのこと。日本は工業製品を輸出して豊かになった国なので、工業製品ばかりが目立ちますが、最新の技術と外国にはない自然条件から生まれる農産物を国際競争力の柱にすべきです。外国の経済力が豊かになってくれば購買量は確実に伸びていくでしょう。

 先日、人財研で労働白書の内容をテーマに議論が行われましたが、付加価値の高い労働とは何かということで、それは農業や漁業だと言った先生がいました。なるほど、21世紀のフロンティアは知的労働なのか農水業なのか、どっちにしても新しいトレンド産業が生まれることは間違いないでしょう。
独断的 天才の出現を考える①
 「天才は美しいところに生まれる」『国家の品格』の中の藤原さんの言葉です。藤原さんはこの本の中で、結果論(つまり天才が生まれたところを調べてみると結果的に美しい光景の場所だった)しか示していませんので、生意気にも私がその原因、理由について考えてみたいと思います。

 このヒントになるのが「芸術」です。美しい自然、美しい建築、美しい音楽に触れるとき人は美を感じ喜びが生じます。美の刺激は人間の創造性を刺激するので、人間は美の世界を自分も創造したくなるのです。小さな子供が、絵を描いたり、歌ったりするのはこの創造性を発揮しようとする自然な行動です。この性質は大人になっても消えることはありません。ただ、大人になると様々な利害関係を考えることが多くなってくるため、相対的に美を創造しようとする意識が小さくなってしまうのです。(完全に利害関係に対する思いに覆われてしまっている人もいます)学生なら受験や周りとの比較、大人なら生活、お金儲けにまつわる様々な(雑念)が、私たちの意識の大部分を覆ってしまいます。本来は、誰もが芸術家なのです。

 それでは、芸術家や科学者(数学者、物理学者などいわゆる理系の学者)とそうでない人の違いは何でしょうか。それは美に対する純粋な思いがあるかどうかです。別の言い方をすれば、雑念で美に対する純粋な思いが覆われているかいないかです。芸術家と数学者は一見相反する概念のように思うかも知れませんが、美に対する真摯な姿勢は同じです。

芸術家・・・美を表現する人。美の法則を演繹的に発展させて芸術作品を生み出す。
科学者・・・美の原理を探求すること。自然の中から美の法則を帰納的に求める。


 絵を描こうとすると、必ず形や色彩の法則性といったものに突き当たります。それを使って表現するのが芸術家、その法則性を探究していくのが科学者であるとも言えます。このことは、芸術家も科学者も出発点は同じであることを示しています。アインシュタインやシュバイツアーが優れた音楽学者であることは有名です。彼らはクラシック音楽の中心地ドイツで生まれました。こうした例を見ると、美をふんだんに感じることが出来る環境は天才の出現と関係がありそうです。

 さて、ここでひとつの疑問が生じます。天才は先天的なものか、それとも後天的なものか。つまり、天才は美しいところに出生するのか、それとも天才は美しいところで後天的に育つものなのかという疑問です。この疑問については長くなりそうなので次回にします。


情緒力~論理を超えるもの~
 藤原正彦さんの『国家の品格』を読みました。品格本ブームの火付け役としてちょっと前に大ブームになったので読まれた人も多いと思いますが、私は今になって初めて読みました。

 藤原さんは論理至上主義的な現代社会を批判し、論理よりも「情緒と形」が大切と言い切ります。「論理だけでは世界が破綻する」その理由として
①論理の限界
②最も重要なことは論理で説明できない
③論理には出発点が必要
④論理は長くなり得ない


の4つをあげています。この中で③論理には出発点が必要ということについて。論理の出発点を決めるのは、それを選ぶ人の情緒であると。なるほどと思いました。情緒は人間誰しもが持っているものですが、情緒には「深さ(感応度)」があると思います。人に対する情の深さ、美に対する情の深さ、そして天に対する情の深さ(宗教心という呼び方が妥当でしょうか)これらは、別個に存在するものではなく、有機的に結び合いながら人格を形成します。したがって、人情、美を感じる心、宗教心のひとつでもかけると情緒は深まっていきません。ちなみに藤原さんは宗教心を武士道に置き換えています。こういった情緒を高める訓練をしても、直接的にはお金や快楽に結びつかないものです。だから多くの人は浅い情緒のまま安易に世の中の論理の出発点から発想し、行動するのです。

 藤原さんの文章はとても断定的です。数学者なので、論理的に持論を展開していきますが、論理の飛躍を感じるところもあります。逆説的ですが、「論理はすべてではない」と言い切る藤原さんらしい論理の展開のしかたです。つまり、「正しいことには論理は必要ない」という論理の出発点に立って書かれているのです。したがって、本書の内容に対して根拠のない独断だという感想を持つ人も多いのではないかと思います。ちなみに私は自分と相通じるものを多く感じることができて大変共感できました。特に「話の半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷」という奥さんからの評価。この部分は私と見事に重なっています。(笑)

国家の品格 (新潮新書)国家の品格 (新潮新書)
(2005/11)
藤原 正彦

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キャストの笑顔
 一昨日の水曜日、ディズニーランドに行きました。ハロウウィン期間中とあって水曜日なのに多くのゲストであふれかえっていました。人が多いと大変ですが、それでもみんなディズニーランドを目指すのです。

 ディズニーランドは学びの宝庫です。その日は長女が誕生日だったので、誕生日ワッペンを胸につけていました。アトラクション係のキャストから掃除係のキャストまでみんな「お誕生日おめでとう」と言ってくれます。キャストは若い人だけでなく、中年の男性も結構いるのです。みんなきびきびと動き、人と目が合うとにこにこです。キャストの給料は決して高くないはずです。不満そうな顔、寂しそうな顔のキャストを私は一度も目にしたことがありません。キャストとして働いたら人間磨かれるだろうなあ。

 その日の夜は、あるお寿司のチェーン店に外食に来ました。ここも人気店でお客さんでいっぱいでした。それでもせわしく動きまわる店員の表情はキャストとは対照的で生き生きとしていないのです。もちろん、お客に対しては笑顔で接してくれるのですが、キャストのように「親しみ」の笑顔でないのです。キャストの笑顔はまるで「私だけを特別なお客さんとして扱っているよう」な感覚にさせてくれるのが特徴です。

081022_1250~02


 
廃業リスクを避けることはできるか
 以前話した面接の件。多くの方が応募してくるのですが、高齢者の方が一番多いです。求人広告には年齢、性別を記載することはできないので、問い合わせは多く来ますが、会社の意向(条件)に合わない場合は断りを入れています。高齢者で仕事を探している人は多いんだなあとつくづく思います。

 さて、高齢者と共に気になったのが、自営業者の人たちです。職人系の自営業者の方たちからの応募が多数ありました。自営業をしているということで、しっかりとされているのですが、本業での仕事がないためにアルバイトをせざるをえないというのです。

 職人系の自営業者の仕事がなぜないのか、理由はいくつかあります。
①中国などとの価格競争に勝てず、受注が減少
②機械化が進み、職人技術が必要でなくなった。機械を買おうにも資本がない。
③不景気(昨年は好景気だと世の中では言われていましたが、中小零細企業はずっと不景気です)

①③は自分の力ではどうすることもできませんが、②は早くて手を打てば解決可能な問題だったのではないか。

 指輪などの貴金属加工の自営業者の方がいました。昔は指輪などの貴金属は手作業で作っていましたが、機械で量産できるようになって仕事が激減したそうです。時計屋さんなど貴金属を扱う商店もばたばたと店をたたむようになり売り先が減るばかり、また不景気で嗜好品である貴金属は真っ先に買い控えられるものです。

 今となっては打つ手はないかも知れませんが、こういったリスクは避けることが出来たのではないでしょうか。機械化されるという情報は前々からあったはずです。①指輪を作るだけでなく技術を応用して他のものも作る。②販路を個人で開拓する。販促活動を行う。抽象的ですが機械化されるリスクに備えて何らかの解決策があったのではないかと思うのです。もちろん、私は素人でナンセンスなことをいっているかも知れませんが、このように、現状の商売スタイルに固執あるいは満足してしまって、環境の変化について行けない例は多くあるように思うのです。廃業というのもひとつの選択手段ですが、事業を活かすという方向でのチャレンジは欠かせないと思うのです。

 新しい技術の登場や法律の改正によって、市場から去る企業、新しく参入する企業があります。目的は同じなのに、そこに至る手段の違いによってこのような明暗が生まれます。例えば、資格業もその一つだと思います。法律が変わって、自由参入ができるようになったらどうなるのか。そういったリスクを常に考えながら付加価値を高めることがどのような事業においても必要です。

 
少子化の解決策は
 日本女性の年齢階層別の労働力率を表したグラフとして有名なM字カーブがあります。日本女性の場合、25~29歳と45~49歳の労働力率が高くMの2つの山となり、30~34歳が低くMの底を描きます。この原因として女性が就業しながら子供を産み育てることが難しい日本社会の現状があるといわれています。保育施設など社会福祉が進んだ北欧諸国ではM字カーブは見られず、台形になっているので、国は女性が子供を産み育てながら働くことができる環境を整えようとしているようです。働く女性が子供を産んでくれれば少子化問題も少しは改善されるかも知れません。
無題

 さて、女性が働きやすい環境を整えてM字カーブを解決することは、少子化対策となりうるのでしょうか。子供は夫婦から生まれてきます。ということは、未婚率が増えれば増えるほど少子化の問題は深刻化することになります。M字の谷間に当たる30~34歳の女性の未婚率は32%、男性の未婚率は47.1%(2005年国勢調査)です。したがって、男女の結婚問題を解決しない限り少子化問題は解決されないことになります。

 未婚率が進む要因のひとつとして経済的格差がありますが、そういった外的な要因以外に内的な要因が大きなものとなっているように最近感じています。ナイーブになる男性と強くなる女性。女性の活躍を否定はしませんが、女性が前に出れば出るほど、男性は後ろに下がるものです。明るい光の当たるところには暗い影ができるように多くの女性たちの活躍の背後で男性が意気消沈しているのではないか。そして、そのような男性たちは女性のお眼鏡にかなわない現象が起きているように思うのです。

 こういった未婚の問題を解決するために、「婚活」(結婚活動)が必要だと説いているのが、山田昌弘さんと白河桃子さんです。就職活動と同じように、結婚活動が必要と『「婚活」時代』で、いろいろな例を取り上げて説明しています。女性にとっても男性にとっても、結婚は非常に重要な問題です。ところが、結婚しなくても食べていけるが故に、また結婚することの意義が家庭でも学校でも教えられないために、結婚から多くの若者が遠ざかっています。「お金持ちの授業」の必要性を説く人は多いですが、「結婚の授業」の必要性を説く人は少ないです。この本は結婚の価値を述べているわけではありませんが、結婚あるいは家族について考え直すきっかけと具体的に結婚するためにはどのような活動やマインドが必要かということを与えてくれる大変斬新な内容となっています。

「婚活」時代 (ディスカヴァー携書 21)「婚活」時代 (ディスカヴァー携書 21)
(2008/02/29)
山田 昌弘白河 桃子

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新たな出発
 今日から、ブログに本名を記載することにしました。診断士の登録証が昨日届き、身分上は晴れて中小企業診断士と名乗ることができるようになったので、これから1人前の診断士になるぞという決意の意味を込めたかったからです。診断士としての実力はまだまだありませんので、このブログを診断士としての成長に大いに生かしていきたいと思っています。

 さて、「やっちゃばの士」というニックネームですが、やっちゃばには、私のように診断士あるいは社労士の資格を持っている人はおそらく全国を見回してみてもほとんどいないのではないでしょうか。逆に、私が今までに会ってきた多くの診断士の方のほとんどは、大企業か名の知れた企業出身者でした。やっちゃばは半分ドカタのようなところ、すなわち現場です。現場もわかる診断士、そして大企業エリートに負けないぞという気概を込めてこのニックネームにしました。

 大企業は、業種が違っても優れた人材が集まり、業種による所得や待遇などの格差は中小企業と較べると少ないのですが、中小企業は業種によって優れた人材に偏りがあり、労働条件の格差も大きいです。例えば卸売業、流通業は休日が少なく、そのわりに給料が安い、だからいい人材が集まらないといったようなところがあります。私の予測ですが、おそらくこの業界の喫煙率は他の業界と較べるとかなり高いはずです。

 さて、そういうところで働いているので、専門知識などは自分で勉強して仕入れるしかありません。まさに弱者の立場に立っている現在ですが、強者の心を持って道を開拓していきます。
自己責任の時代
 マンナンライフの蒟蒻ゼリーの製造販売中止に反対の声が集まっているようです。この商品のファンが相当いることの証明なのでしよう。企業としてはうれしい限りだと思います。

 この問題の責任の割合に関しては、当然企業側だけが一方的に背負うものではないと思いますが、死亡者をこれ以上出さないという第一の問題を防ぐためには販売中止は致し方ないことだと思います。「餅米の方が事故死亡率が高いのだから蒟蒻ゼリーだけはおかしい」というのは、正論だとは思いますが、問題の重要度を考えると一旦中止というのが最善策でしょう。そういう意味では企業側のとった行動はかしこいです。

 消費者側の問題があまり話題になっていないのが気になります。第一、「乳幼児に蒟蒻ゼリーを買って食べさせる親の方にあきれた」というのが私がこの事故報道を知ったときの率直な感想です。このような親は、子供のことを考えずに他の食べ物や遊具を与えているはずです。子供のことよりも自分のことばかりを考えているのでこのような不注意が起こるのです。残念ながら、こういった意識の問題は本人の問題なので根本的になくすことはできません。どんなに大きく「注意マーク」が記されていても、気がつかない人は気づかないのです。

 蒟蒻ゼリーは地元群馬の特産品である蒟蒻を材料にした優れたアイデア商品です。上記の通り根強いファンが多くいます。今後の方向性としては、1ピースごとパッケージに大きく「乳幼児禁止」と印刷するなどして、販売するのがいいのではないでしょうか。

 さて、事故というのは予想外のところで起こるものです。大人だって、蒟蒻や餅を食べてのどを詰まらせる可能性だってあるのです。食品以外の工業製品や生鮮食品、遊具、投資すべて事故のリスクはあります。事故を恐れると車の運転だってできないですよね。自己責任意識を強く持っていくなければ世の中をうまく生きていくことはできないのが現実です。買う方も売る方も共に自己責任意識をもつ。このバランス感覚をうまく持つことが、より良く生きることに必要なのではないかと思いました。

 
弱者の視点
昨晩ニュースを見ていましたが、「進むアメリカの貧困」と「冷凍インゲン」の問題に私はある共通の思いを抱きました。それは「世の中には確かなものがあるように見えているだけ」ということ。

 アメリカの貧困。今回の金融危機で、私たちは改めて、アメリカの負の部分を見ることができるようになりました。アメリカの貧困という問題は、金融危機が起こる前からずっと続いてきて、ここにきて表面化したに過ぎないのですが、実態を見るとショックを受けます。アメリカはもともとピューリタン(清教徒)が宗教の自由を求めて建国した国なのですが、なぜこのようになってしまったのかと思ってしまいます。キリスト教という宗教背景があるアメリカでさえこのような結果になっているのですから、無宗教の日本人がアメリカのマネをしていけばどのような結果になるのかおぞましい限りです。アメリカの強者を目標にすることは悪いことではありませんが、「良い種と悪い種」を自分の目で判断する習慣をつけておかないと、「悪い果実」が知らず知らずのうちに実ってしまいます。

 冷凍インゲンの問題。警察が事件としていち早く動いたのが印象的でした。先回のギョーザ事件の時とちょっと違うなと思いました。これは先回の事件が製造過程でのミスではなく、人為的なテロだということがわかっているからでしょう。「中国食品は危険だ」という画一的な世論にならないようにという政府の指導があるのかもしれません。それでも、多くの国民が「やはり中国食品は危険だ」と思いこむのを避けることはできないと思います。なぜなら、中国の事情や現場をほとんどの人は知らないため、既成のイメージを判断基準にするしかないからです。これはアメリカの例にも当てはまりますが、いいことも、悪いことも私たちは既成のイメージを基準に判断しているものです。既成のイメージを信じて思考がストップしてしまう人は、石の中に埋もれている宝を見つけ出すことは難しいでしょう。逆に、日本の食品だっていつテロの標的になるかわからないものです。

 既成概念はともかく、定説だって疑ってみると結構いろんな発見があるものです。人間は不安定よりも安定を望む本能があります。疑うということは、結果を掘り返すようなものですから、自らを不安定な状態に置くことになり居心地の悪さを感じることになります。既成概念や定説を無条件に受け入れる方が居心地がよいものです。時間がかかるかも知れませんが、玉石混合の中から、正しいもの、価値のあるものを見つける能力を培うことが大切だと思っています。この能力を身につければ、弱者であっても、強者に物怖じすることがなくなるでしょう。

長時間労働は本当に悪か
 長時間労働と聞くと、大多数の人がマイナスのイメージを抱くと思います。「仕事は効率的にするべきだ」「ワークライフバランスを無視している」「労働基準法を無視している」等等、マイナスの理由を挙げたらそれこそきりがありません。

 ところで長時間労働がいいという人も存在するのではないでしょうか。「労働」という言葉を受身的に捉えるか、ポジティブに捉えるかによって、その価値はプラスにもマイナスにもなると思うのです。まず、仕事が好きでたまらない人、このような人は長時間を苦痛とは思わないはずです。次に、時給制の人で稼ぎたいと思っている人は長時間労働を望むかもしれません。

 「物理的に時間のかかる仕事を、会社のために夜遅くまで働く」会社のことを自分のことと捉え、受動的な意識を転換できればそれはすごいことだと思います。そこまで行けば、会社(経営者)と労働者は、単なる労働契約の関係を超えて、情の関係が生まれてきます。今の世の中に、このような関係を見出すことは稀有なことだと思いますが・・・。

 自分の時間を他人のために犠牲にする。普通誰もがしたくないことですが、それをあえてしている人の姿を見ると、美しいと感じます。それが見返りを求めての行動でなければなおさらです。上記の場合お金という見返りがあるのは確かですが、長時間労働となるとお金という得れるものよりも、失う時間の方が価値が高いと感じることの方が多いのではないでしょうか

 さて、何だか屁理屈のような内容になってしまいましたが、自分がやりたくないことをお金を払って他人にやってもらうことに、お金以上のものを感じたので、このような記事を書いてみました。このような場合、仕事を頼む方も、受ける方も「ありがとう」の関係になりますが、頼む方の「ありがとう」の方が重みが大きいと思います。
夢の中国人
 「仕事が雑、金のことしか考えない」というのが中国人に対する私の周囲の日本人の考え方。また「体裁ばかりを気にする。日本人要領悪い」というのが私の周囲にいる日本人に対する中国人の考え方。中国人もエリートから出稼ぎ労働者までその生活環境は大きく異なりますが、基本的なものの考え方は同じなのではと思います。

 中国人に対して上記のようなイメージを持つことは、大きな損です。なぜなら、中国人と組むと仕事でマジックを実現することができるからです日本人だけでは実現不可能な仕事を可能にします。先日も取り上げましたが、日本人だと音を上げてしまうような膨大な量の仕事をものすごい集中力と速さで仕上げます。また休日や夜間など日本人が嫌がる時間帯の仕事でも、少しでも稼げるとなれば引き受けます。確かに国の生活レベルの違いがこのような行動を生み出しているのでしょうが、そうとも言い切れないというのが私の意見です。

 中国人の歴史はユダヤ人と似ています。日本と違い外敵に侵略されため、彼らは世界中に散らばっていきました。彼らがアフリカなどの被征服国と違うのは、先祖から受け継がれた優れた思想を持っていたからです。この優れた思想とそれに由来するプライド、必ず挽回するという強い意志がなければ今のようなユダヤ人や華僑の活躍はなかったでしょう。「災い転じて福となす」厳しい環境を生き抜いていく中で、強い知恵が育っていきました。本土人は華僑とはちょっと違うところがありますが、兵法、儒教が深く根付いているところは同じです。

 さて、私が思うに「彼らは目的観に徹する」心が日本人よりも強いような気がします。日本人によく見られる「そこそこでいい」という考えがないのです。中国人経営者も労働者もこの点は共通しています。おそらく、外敵から侵略されてきた歴史があるので、明日はどうなるかわからないという危機意識が潜在的にあるのでしょう

 「そこそこでいい」という考え方ですが、細部に関しては中国人はいい意味でも悪い意味でも手を抜くところがあります。多分こういうところで「中国人は雑だ」というイメージを日本人は抱くのだと思います。それでも、目的(仕事の完成)のために、少しでも要領よくやる、早く仕上げることに徹するというようにプラスに捉えることもできます。逆に日本人は細部に関しては丁寧なのですが、目的の完遂ということに関しては意識が曖昧です。周りの目をきにしながら行動する、応用が利かない、そして、手段が目的化して、全体の目的をいつの間にか忘れてしまうのです。中国人が「日本人要領悪い」というのはこのようなところに根拠がありそうです。まさに「木を見て森を見ない日本人。木よりも森を見る中国人」といったところでしょうか。

 昨日ブログで紹介した栢野克己さんの本におもしろいことが書いてありました。栢野さんは家族で世界一周旅行をしたのですが、どこの国へ行っても中国食堂があり、特に途上国では現地の食になじめないので、中華料理でしのぐことができたそうです。また、今最も政情不安定と言われるジンバブエでの現象。白人政権でジンバブエの治安がよかった頃は中国人よりも日本人の方が多かったのですが、黒人政権となって治安が悪化すると、日本人は多くが撤退。逆に中国人はどんどん入ってきて商売をはじめているようです。たくましい中国人。中国人の商売がなぜ成功するのか。中国人を研究することは私たちが今後生きていく上で大きなヒントを与えてくれると思っています。
逆転の人生
 『弱者の戦略』。栢野克己さんの新刊を読みました。栢野さんは零細企業コンサルで栢野さんのブログ【人生は逆転できる】小企業コンサル・講演家・栢野克己/栢野の転職ブログは有名です。私は栢野さんのファンで毎日ブログを見ています。

 栢野さんは何度も転職や事業に失敗し、天職を求めて壮絶な人生を送りますが、44歳の時に零細企業コンサルという天職で成功します。44歳という年齢は、今の世の中にあってはちょっと遅いかも知れませんが、逆にその遅さに感動と弱者の可能性を感じることができ、私にも希望を与えてくれます。

 天職に出会う。これは誰しもが願うことです。今は自由な世の中です。自由であればあるほど迷うものです。天職に出会うということは、自己実現への近道と私は考えています。そのためには、思ったことはすぐトライしてみる必要があるのではないでしょうか。前向きなトライアル。心の願うとおりに行動できないことほど辛いことはありません。

 弱者かどうかは相対的なものです。大企業のエリートから見れば私は弱者に見えるでしょうし、市場のフリーターから見れば強者に見えるかも知れません。栢野さんも、その行動力をみれば弱者ではなく強者と見ることもできます。「環境的には弱者、心は強者」というのが弱者の戦略のコアだと思います。

弱者の戦略―人生を逆転する「夢・戦略・感謝」の成功法則弱者の戦略―人生を逆転する「夢・戦略・感謝」の成功法則
(2008/09)
栢野 克己

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モノと情報の一極集中
 「情報が発信されるところに、情報が集まる」といった法則がありますが、青果物に関しても同じ法則が当てはまります。すなわち「青果物のたくさん集まるところに青果物は集まる」、古代より食料品が市場に集まるのは常識なので、法則でも何でもないかもしれませんが、交通網と輸送手段が格段に進歩し、地方の時代と言われている現在でも、大量の青果物が東京を経由して地方に流通していきます

 例えば静岡県にチェーン展開するあるスーパーがあります。静岡県は農産物が豊かで、三ヶ日みかんや三方原ジャガ芋などの産地として知られています。普通、地元で採れるのだから、地元の市場から仕入れてくるものなのですが、実際は東京の市場を経由して仕入れています。(すべてではありませんが)なぜ東京を経由するのか、それは「いいグレードのものが東京に大量に集まってくるからです」。青果物を販売するときの3大ポイントは

①価格
②品質
③安定供給


にあります。チェーン店ともなると①はもちろんですが、②、③が欠かせない要素となってきます。八百屋さんであれば①だけで成り立つかも知れませんが、②、③ができなければチェーン店全体のイメージダウンに繋がってしまいます。

 東京のバイイングパワーは圧倒的です。大量に高く買ってくれるところに商品は集まります。モノと一緒に情報もくっついてきます。だから、情報を得ようとする人は東京に集まってきます。このようにして正のサイクルが繰り返されるわけです。

 インターネットの情報も全く同じで、情報が多く集まってくるところに、情報を発信しよう、得ようという人が集まり、正のサイクルが繰り返されていきます。ただ、この場合の引きつけるパワーはバイイングパワーではなく価値観すなわちヴァリューパワーだと思います。ヴァリューパワーの強さは何で決まるのでしょうか。それは共感させる力ではないでしょうか。

人を共感させることができない=自分という商品を売ることができない

 多くの荷物を見ながら、ふとそんなことを考えてみました。トンネルはまだ長く続きそうです。
自己実現は可能か
 姜尚中さんの『悩む力』を読みました。姜さんは現代を約100年前の夏目漱石とマックス・ウェーバーが生きた時代と比較して、資本主義社会を生きるということは、どういうことかということを考えていきます。

 漱石やマックス・ウェーバーが資本主義社会で直面した課題は、現代の私たちと全く同じだというのです。漱石の小説が多く引き合いに出されるのですが、漱石の小説の一番のテーマを「資本主義社会の中でいかに生きるか」ととらえ、現代との同時代性を強調していきます。同時代性と言えば、この100年の間に私たちは価値観の変化と時代の分断があったかのように感じてしまいますが、要は資本主義社会の問題が、資本主義が生まれて以来、未解決のまま現代に至っているだけのことです。


 「物質的に豊になっているのに、なぜ心が豊かにならないのか」誰もが突き当たる問題だと思います。もちろん、そんなことを考えなくても生きていくことは可能ですし、そんなことばかり考えても、答えは出ないし、前に進みません。だから、多くの人は、そのような問題は棚上げにして、目の前の現実にいかに対処するかということに血眼になっています。いかに多くお金を稼ごうか、楽しく使おうかと考えて行動しているのに、そんな哲学的な問いは邪魔になるだけだと思う人も多いのではないでしょうか?

 それでも、この本が売れているということは、人の生きる意味は何だろうと目の前のことからいったん目を離し、視点をまったく違ったところに向けて、自分を見つめ直すことが必要だと考えている人も多いということです。自分の本心と真面目に向き合おうとすれば、答えが出ないし疲れる(悩む)ものですが、それ以前に現代社会の中でいつの間にか疲れて悩んでいる自分に多くの人が気づきはじめたのでしょう

 本書を読んでも答えが出るわけではありませんし、自己実現ができるわけでもありません。そういえば先日「自己実現とは」というブログ記事を書いてマズローの欲求5段階説について述べましたが、この本を読むと、本当の自己実現は実現不可能だということになります。それでは余りにも悲劇ではないかという思いが湧いてくるでしょう。答えはないのでしょうか。答えにはならないかも知れないですが、悩んでいる自分を受け入れて、ありのままの自分を肯定的し、すべてに感謝して生きることが、一番自己実現に近いような気がします。

悩む力 (集英社新書 444C)悩む力 (集英社新書 444C)
(2008/05/16)
姜尚中

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多様な観点
 今日は久々に図書館行きました。図書館に行くとなぜかほっとします。実は昨日は行きつけの紀伊国屋書店豊洲ララポート店に行ったのですが、本屋さんと図書館の違いというものを考えてしまいました。

 本屋さんは本を売るのが商売です。売れ筋の本が平台に並び、本の帯には思わず買いたくなるようなセールスコピーが目立つように印刷されています。いつの間にか気づくと、手には何冊もの本が・・・。いったいこの本の中で何回繰り返して読む本があるだろうか。そう思いつつもレジに本を差し出しているのです。「お金を出す価値があるかどうか?あれもほしいし、これもほしいが予算も限られているし」最初は快感だったのが、悩みに変わります。(これ何かに似てると思いませんか)

 図書館は売れる本を中心に置いているわけではありません。特徴的なのはビジネス本が書店のように前面に置かれてないことです。児童書のコーナー、文学のコーナーは書店に較べると各段に広いです。スーツを着たビジネスマンはほとんどいません。図書館の場合は、無料で本が借りれる代わりに借りれる冊数が10冊と限られています。なぜほっとするのか、それはきっと書店の本が発する「この本を買ってください」という、著者や出版社、書店の目に見えないマーケティングパワーにとらわれることがないからでしょう。

 ところで、ビジネス本などを読んでいると、図書館には行くなと書いている著者を何人か見かけました。その理由としては

①本に線を引くことができない
②時間がもったいない(お目当ての本が貸出中だと待たなければならない)
③お金をかけていない分、本の元をとらないといけないという意識が薄れる


などです。なるほど、確かにそういう見方ができると思いますが、図書館には書店にないメリットがありますし、工夫をすれば上記の問題もある程度解決可能です。(さすがに新刊本は難しいですが)双方のメリットとデメリットを自分の頭で判断して上手に使うことが一番いいのではないかと思います。

 ついでにもうひとつ。先回「新聞読んでないな」という記事を書いたのですが、その中で新聞を読む必要はないのではということを書きました。「新聞を読むな」と言うビジネス著者は結構いて、最近読んだ著者では午堂登紀雄さんや日垣隆さんがいます。昨日も書店でぱらぱらページをめくっていたら、やはり新聞読むな派の著者がいました。逆に、昨日小宮一慶さんの本を読みましたが、小宮さんは新聞を読むことを進めています。反対の意見が存在するのは、新聞から何を得るかという目的観、価値観が違うからです。別の言い方をすれば、前者は新聞のデメリット、後者はメリットを強調しているに過ぎないのです。やはりここでも自分の頭でどうするか考えないといけませんね。(それぞれの意見の根拠は、このブログ記事がとてつもなく長くなってしまうのでやめます)

 さて、図書館では普段着の年配のおじさんたちが新聞を丹念に読んでいる姿をよく見かけます。その姿を見て「暇なんだなあ」と思いながら通り過ぎていく人がほとんどだと思いますが、もしかしたら私たちが気づかないような大切な発見を新聞から読み取っているかもしれないのです。私も新聞をちょっと読んでみようかなという気になりました。

 ちなみに偶然なのですが、帰宅すると浦安に来てからずっと親しくしている読売新聞のおばちゃんの名刺が置いてありました。妻が言うには、キャンペーン中だから3ヶ月だけ購読して欲しいとのことでした。「うーむ時の流れに従うしかないな


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