やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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こどもの日の前に
 4月も最後の日になりました。季節の風物詩は桜から鯉のぼりへと移り変わってしばらくになります。こどもの日を目前にしていますが、我が家は女の子ばかり、いちばん上の子から、「なぜ我が家には鯉のぼりがないの?」と質問にあっています。

 家族にまつわる日は、「子供の日」、「母の日」、「父の日」、「敬老の日」とありますが、私はこれに加えて「夫婦の日」があってもよいのではないだろうかと思います。

①子供
②父、母
③祖父母


 このように階層的に書くとわかりやすいのですが、家庭の中心は夫婦です。夫婦関係は最もデリケートかつ重要です。良い夫婦関係を築くことなしに、良い子供関係を築くことはできないのではないでしょうか。「こどもの日」ですが、子供の前に夫婦のことを棚上げにしていないか考えたいものです。

 世の中にはすぐれた企業家、タレントが多くいますが、離婚している人も多くいます。家庭生活をするということは、すなわち家庭経営、家庭マネジメントです。離婚は家庭経営の失敗です。家庭をマネジメントすることができないのに、どうして他人、ましてや部下や会社をマネジメントできるでしょうか?
意外とこのことに対して、言及する人が少ないことに疑問を感じます。

 経営コンサルタントの大前研一氏は、著書『親が反対しても、子供はやる』の中で次のように述べています。

「自分が納得できる家庭がつくれなかったら、まず夫婦の最初の事業に失敗したことになります。たとえ会社で出世しても、根無し草というかあまり意味がないのではないだろうか。」


「家庭がしっかりしていないのに、外に出て日本をよくしようとか、会社をよくしようとか、お客さんの会社をよくしてあげますなどということは、おそらくできないのではないかと私は思っています。」

「私の場合、著作など、自分の作り出した作品もたくさんありますし、会社を起こしたこともあります。しかし、自分がつくったもののなかで、最も重要なものは家庭だと考えています。家庭はいちばん基本的な単位ですし、つくりあげる個人の価値観がもっともはっきり反映してくるものだと思います。」


大前研一氏は本物の経営コンサルタントだと思います。

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マスコミの品格
 SMAPの草薙剛さんの事件が大話題になりました。この件に関して、草薙さんに同情する人が多かったのが印象的でした。普段からの行いや人柄などが評価されていたということになるのでしょう。

 と同時に、今回の事件には品格ということを考えさせられました。

①タレントの品格
②警察の品格
③大臣の品格


そして

④マスコミの品格

①から③までは多くの人が言及しているので、ちょっと④について。

 草薙さんは、今回マスコミによって、信用と番組(収入)という2つのものを失いましたマスコミにとって草薙さんは、大きな収入を生み出す商品です。その商品をおもしろおかしく扱い、自ら失ったのです。ここまで、考えてこの事件を取り上げたのだろうか。火をつけるということは衝動的なことです。公的メディアが衝動的な動きをとるのはいかがなものか?

マスコミの品格が問われます。




新富裕層と新知識層③
 次のような例え話があります。


 アフリカのどこかの国では、飼っている羊の数で社会的地位が決まるそうだ。ある日本人の女の子が、留学先のイギリスでそのアフリカのどこかの国から来た学生と友達になって「お前の実家では、羊を何頭飼っている?」と訊かれた。一等も飼っていないと女の子が答えたら、同情されたという話がある。
 この話は笑えない。羊をお金と言いかえてみれば、話はそっくりそのまま僕らにも当てはまる。羊に数で社会的地位を決める人が滑稽なように、僕らもまた滑稽だ。(島田紳助『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する』より)



 「お金」を「知識」と言いかえてみたらどうでしょうか。「知識」を持っている人が、必ずしも社会的地位が高いとは言い切れませんが、常識的に考えて「知識の豊かさ」と「お金持ち」は相関関係があるので「知識の豊かさ」と「社会的地位」も相関関係があります。なんだか3段論法のようですが、「知識」の量によって「社会的地位」を決める人がいたら滑稽かもしれません。

 それでは次の言葉からどのようなイメージを抱くでしょうか?キーワードは「飢える」です。

食に飢える。
お金に飢える。
知識に飢える。
愛に飢える。


このように並べてみると、マズローの欲求5段階ピラミッドを連想してしまいます。「食への渇望」は生理的な欲求、「お金の渇望」「知識の渇望」は安全の欲求、所属の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求と高次のカテゴリーに分類することができます。「愛の渇望」は所属、承認、自己実現とより高次になります。それでは、「お金の渇望」と「知識の渇望」と「愛の渇望」はどういう関係があるのでしょうか。所属、承認、自己実現はどんなにお金や知識があっても一人では成り立ちません。つまり、「お金」「知識」を得て、人(人々)から愛されることによってこそ、これらの欲求が初めて満たされるのです。

このように考えると、

「お金」も「知識」も「愛」をえるための手段にすぎない

ということになります。エネルギーとなって消費される「食」よりも、価値創造性、価値変換性のある「お金」や「知識」はポータブルな価値があります。さらに有形の「お金」よりも無形の「知識」のほうが
ポータブルです。4つのパーソナル資産のところでも述べましたが、今価値観は有形なものから無形なものへ、実(結果)から実を生み出す能力(種)へシフトしつつあります。

「知に飢える」「知識を渇望する」この言葉は無抵抗に善として受け入れられていると思いますが、私はあえて疑ってみたいと思うのです。もしあと1日しか生きれないとしたら、次のどちらを選ぶでしょうか

ひとりで書物を読むか それとも 家族のためにご飯を作るか

 私は読書が大好物です。「3度の飯より読書」と言えば大げさかもしれませんが、大好物です。読書を腹いっぱいして、満足した時にふと思うことがあります。「この満足感は、食べ物で腹いっぱいになったのとどこが違うのだろう」食欲とちがって、腹いっぱいになってもすぐ新しい本が欲しくなるのですから、知識欲は中毒のような性質があると言えるのかもしれません。そして、知識を形に残すためにアウトプット(メモ、ブログ)。ここでとりあえずの満足を覚える人は多いと思います。

 ブログは道楽である(大橋悦男『成功ハックス』より)


新富裕層と新知識層②
 新知識層の輪

 先回の記事は、「新知識層バブル」という言葉を出したところで終わりました。新知識層バブルの前に新知識層の輪について考えたいと思います。新知識層の輪とは新知識層コミュニティのことを指します。新知識層にとって、知識とは他者へアプローチを掛ける時の、あるいは他者からアプローチをかけられるときの貨幣あるいはタグ、フックという価値を持つものです。この時、貨幣価値、タグの価値が高いほど有利になります。つまり、新知識層の輪の中に入っていくためには、「魅力的なタグ」がなければ入っていけないのです。

 さて、ここで問題になるのがこの「魅力的なタグ」です。ある新知識層の輪の中にあっては、この「魅力的なタグ」は同質的な要素が大きいのです。もともと、コミュニティ、特にネットのコミュニティは、共通の話題、あるいは気の合う者同士から成り立つものなので、同質的な内容になるのは仕方のないことだと思います。

 この同質的という言葉。知識の糧は読書なので、読書の範囲が同質的だということになります。本の紹介をしているいろいろなブログを私はよく見るのですが、そこで取り上げられる本は、見事に重なっています。もちろん、優れた書籍だから多くの人が取り上げるのだと思いますが、それ以外に、影響の輪の力が大きく働いているのではないかと。すなわち、出版社のマーケティング戦略やカリスマ書評メルマガやアルファブロガーの評価や価値観にいつの間にか影響されているのではないか。マスコミの影響の輪を受けるのと同じように。

 このように考えてくると、新知識層の輪は、影響力のある人物のマーケットであると言い換えることもできます。新知識層の輪の中では、多くの人が影響力のある人物を目指すが故に、影響力のある人物のマーケットになっている。そして、影響力を及ぼせる力をつけた人は、まだそのようになっていない人をマーケットにする。

 つまり、お金の流れを見たとき、新富裕層は新富裕層以外の人から収入を得るのに対し、新知識層は新知識層の内から収入を得るというしくみが成り立っているのです。少々バブル気味ではないかと書いたのはここに理由があります。

 さて、私は別に新知識層を批判しているわけではありません。ブログで、上記のような屁理屈を述べている自分自身こそ新知識層の端くれだということは良くわかっています。「知識」というのは、より良い人生を生きるために必要な糧だと思っています。

 知識ルネッサンス

 いつでもどこでも自分のほしい情報、知識を手に入れ、自分の知識をアウトプットすることができる時代になりました。私たちは、現代の諸子百家であり、ソフィストであります。2000年以上前に彼らは「知」を説きましたが、その後の歴史は我々の知るとおりです。現代は、その頃と較べると、知識は飛躍的に発達しています。ただ、「知識」あるいは「知性」だけでは限界があるのではないかというのも素直な感想です。この「知識」の限界においては次回で考えてみたいと思います。

 
新富裕層と新知識層①

 新富裕層という言葉が定着して、しばらくになりますが、今「新知識層」という新しい階層がたくさん生まれているように思います。「新知識層」という言葉は、一般的にはまだ使われていないようです。なぜなら、「新知識層」という言葉は私が勝手にそう呼んでいる言葉に過ぎないからです。

 新富裕層とは

親の代から事業を引き継いだり資産を相続したりすることなく、1代で財を築いた富裕層のこと。ポピュリッチ、またはミリオネーゼ(女性の場合)とも呼ばれる。新興株式市場の活性化が背景にあると言われており、新富裕層の中心的な存在には、比較的若い30代から40代の投資家をはじめ、外資系エリートサラリーマン、ベンチャー企業の経営者らが多いとされる。彼らはアグレッシブで行動的であり、さらに資産運用においてはハイリスク・ハイリターンを狙う傾向が強い。また、他人が所有しているものには興味がなく、独自の価値観を持ち、自分が欲しいと思うものを手に入れるためには大金も惜しまない。この点が従来の富裕層との違いでもある。景気がなかなか上向かない中でも高額商品が売れる理由の1つとして、この新富裕層が市場をけん引していることが考えられる。(Wisdomビジネス用語辞典より)

 新富裕層が注目されるようになったのは2000年~20005年ではないかと思われます。新富裕層はITの進展とともに育ってきました。上記の説明にあるように、キーワードは投資家、起業家、そして上記にはありませんが、これにITが付け加えられると思います。なぜなら、投資家も起業家もITのレバッレジを利用して成功しているからです。この層に影響を与えた人物としては

堀江貴文氏(ホリエモン)
ロバート・キヨサキ氏

 それでは、新知識層とはどのような人々のことをいうのでしょうか。新知識層とは

 読書あるいは専門知識にお金以上に価値を置き、そのコンテンツをブログやセミナーでアウトプットすることにより、自らの存在価値を高めようとする人たちのこと。お金はあくまで、自らの価値を高めた結果であり、自らの市場価値(存在価値)を高めることにより、人脈を築き、人脈にお金もついてくるという考えを持っている。新知識層社会では、いかに魅力的なコンテンツを持っているかが、互いの価値の交換にとって不可欠であり、そこではお金を多く持っていることはさほど重要ではない。どんなにお金持ちであっても、読書知識や専門能力がなければ、価値の交換が成り立たない。ちなみに、一昔前の知識層との違いは、一昔前の知識層は人付き合いが下手で専門馬鹿なのに対し、新知識層は知識をアウトプットして他者とコミュニケーションを取り、パフォーマンスを上げようとするところにある。

 この層が出てくるようになったのは、2003年くらいから、つまりブログの普及とともに育ってきた層と言えるでしょう。キーワードはブログ、メルマガ、読書、人脈、レバレッジなどです。この層に影響を与えた人物としては

勝間和代氏
本田直之氏
大橋悦夫氏

 新富裕層と新知識層は、全く別の存在ではなく、重なり合っている部分が大きいです。つまり、 知識というコンテンツを貨幣のような価値交換媒介として、この2つは双方向的な関係にあるのです。

新富裕層→新知識層  あるいは  新知識層→新富裕層

 ただ、時代の流れとしては、新富裕層よりも新知識層の方がトレンドです。なぜなら、新富裕層になるよりも、新知識層になる方が簡単だからです。新知識層が必ずしも金持ちになれるとは限りません。それでも、新知識層コミュニティに入ることはお金持ちになる近道です。私は、少々新知識層バブルがおきているのではないかと見ています。新知識層バブルとは何か。ちょっと長くなるので続きは次回の記事で書きます。

 




後味の悪い後だしジャンケン
 先月の末、千葉県知事に森田健作氏が初当選しましたが、その森田氏が告発されています。

 千葉県の森田健作知事(59)が、政党支部長を務めているのに無所属だとして選挙運動をしたことが公職選挙法違反に当たるなどとして、地域政党や社民党の千葉県議らでつくる「森田健作氏を告発する会」(井村弘子会長)が15日、千葉地検に告発状を提出した。(産経新聞)

 私はこの記事を見て非常に腹立たしい気持ちになります。森田知事ではなく、この告発した会に対して。私は森田知事の支援者でも何でもありませんが、千葉県民として、「正義の仮面をつけた偽善者」に県政が振り回されるのが腹立たしいのです。

 なぜ、腹立たしいのか、理由は2つ。

①クレームがあるのだったら、選挙前にするべき。当選してからこのような告発をすることは、千葉県民を馬鹿にしているとしか思えない。

②選挙にどれだけの税金がかかっているのかを全く無視している。もう一度選挙をするとどれだけ無駄な税金がかかるだろうか。

 人の非ばかりを指摘して、自己満足している政治家が何と多いことか。「税金の無駄遣い」などと他人を非難しながら、実は別のところで税金の無駄遣いをする偽善者に、もっと多くの人が気づくべきであると思います。
身近な勝ち組企業
 景気が低迷する中で、過去最高の利益を計上するなど飛びぬけて業績のいい企業があります。任天堂、オリエンタルランド、マクドナルド、ユニクロ、ニトリ、ヤマダ電機。誰もが知っている有名企業ですが、このように列挙してみると、日常生活の中で、これらの企業から商品を買っていることに改めて気づかされました。(ちなみに、私は子供の頃から任天堂のゲーム機を一度も買ったことはありません)

 先日、ヤマダ電機でデジカメ、デジタルビデオカメラなどちょっと大きな買い物をしました。ポイントカードの力はやはり大きいと思います。いつの間にか囲い込みされてしまっていますね。

 さて、お客へのサービスは徹底していますが、メーカーへの価格圧力は強いようです。あるメーカーの営業マンは「利益がほとんど残らない」と先日私にこぼしていました。こういう話を聞いていると、ちょっとえげつないイメージもありますが、メーカーから相手にもされないような小さな田舎の電器屋から、熾烈な競争に打ち勝って業界ナンバーワンになれたのは、価格とサービスへの徹底的なこだわりがあってのこと。このような厳しさを学びたいと思います。

 ヤマダ電機はあえてライバル店の近くに出店しているのをよく見かけます。ライバル店にとっては、やっかいな存在かもしれませんが、このことはクラスター効果という相乗効果を生み出します。また、地方の個人電器店のフランチャイズ化を進めています。廃業が進む個人商店に命を与えるという面での貢献もしているようです。

 ただ、安いだけではない。強い会社は見えないところで多面的な戦略をとっています。人生戦略のうえでも、多面的、逆説的発想、長期的視野など表からは見えないが、自分の頭にはしっかりと描かれたビジョンを持つことの大切さをこれらの企業に教えられるように思います。
ブラジル経済と日本
 ブラジルの自動車の販売台数が伸びているようです。各国大不況の中、このような全く違った動きが起こることに経済という生き物のおもしろさを感じます。この背景には、減税措置やブラジルの自動車普及率などの様々な要因があるようですが、BRICsの一画だけに大国としての潜在的な力を感じます。

 BRICsとはブラジル、ロシア、インド、中国の新興大国4国のこと。2035年には先進国を抜いて世界経済の中心になって行くと言われてきます。この4国の大きな特徴は

①人口、面積が大きい
②天然資源(食物、エネルギー)が豊富
③高い経済成長率


この要素は、いずれも日本にはないものです。日本には技術という武器があるという人がいますが、技術格差が縮まっていくのは時間の問題です。実際に日本の発言力は相対的に弱くなってきています。

 さて、ブラジルについて。私の職場には多くの日系ブラジル人がいます。彼らの仲間には仕事がないので国に帰るという人もかなりいるようです。彼らを見るたびに、北米と南米に渡った日本人移民の吉凶を思います。

北米を選んだ者と南米を選んだ者の結果はここまで違うのか

 ただ、南米の国の多くは今後大きな発展の可能性があります。ブラジルの例を見るように、今後は先進国を追い越すかも知れないのです。栄枯盛衰、未来はどのようになるかはわかりません。日本とブラジルの立場が逆転することだってあるかも知れません。

 今、日本の製造業、サービス業の労働力は在日外国人によって支えられています。一方、日本人の失業者は増えています。海外の経済力が上がれば、どうなるでしょうか。仕事を求めて、日本人が海外に出稼ぎに行くという現象が起こりうる可能性がなきにしもあらずです。外国人労働者をむげに切り捨ててはならないと強く思うものです。
「時間」と「記憶」の経済学
 先日の記事の続き。先日の記事のカテゴリは経済になっているのですが、ある本に書かれたあった面白い内容を最初は書くつもりでした。専業主婦の資産価値を考えるというのも、この本がきっかけです。

 この国の経済常識はウソばかり

 この本、とても斬新な視点から経済問題や経済現象をとらえています。勉強にもなるし、読み物として面白いです。(私がもし本を書くのならこのような斬新な発想のものを書きたいです。)

 「時間」と「記憶」そして「会計」という視点を持って著者は経済現象にメスを入れます。

記憶  人は記憶を超えることはできない。つまり、未経験、未体験の事柄に関しては真剣に向き合うことはできない。政治家は過去の成功体験がいまだに通用すると思っている。

時間  政治家は世代間(高齢者と若者)の間にある時間差を利用している。高齢者が若者の時間を奪っている。

この時間に関しては、ここに会計の概念を用いて、

世代間の減価償却モデル
資産担保成長モデル

といったようなおもしろい考え方を展開しています。現実的には悲観的な内容が多いのですが、著者の言葉には、家族と未来に対する愛情と責任が感じられ、私は非常に共感を覚えました。

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(2008/09/06)
トラスト 立木

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3つ子の魂100まで
 「3つ子の魂100まで」我が家においては、乳幼児期の子供の教育において、親の与える影響が大きいと考えています。妻は専業主婦として毎日3人の子供とともに過ごしてきました。したがって、稼ぐのは私だけで、我が家のエンゲル係数は結構高いです。

 ここのところ、人の資産価値という概念が登場することが多いようです。専業主婦は、お金を稼いでくるわけではないので、短絡的に見れば、資産価値はゼロということになるのでしょうか。

 未婚率と少子化の上昇により、昨年は『婚活』という流行語も生まれました。結婚するカップルが増えるのはいいことです。昨年ブログで『婚活時代』という本も紹介しました。ただ、ある種の違和感をこの本を読んで感じたのも事実です。それは、婚活を就職活動と同じ目線で捉えているということです。就職活動では自らのセールスポイント(能力、資格、経験など)を売り込み、企業にどれだけの経済的効果をもたらすことができるかという高い期待値を与えることが必要です。結婚をこれと同じ目線で捉えるということは、パートナーにどれだけ高い経済的な期待値を抱かせるかが結婚の目的のようになってしまっているということなのです。

 したがって、この『婚活』にはキャリアしか参加できないというハードルがあります。著者の白河さんの別の著書に『キャリモテの時代』というのがありますが、キャリアとキャリアの生み出すお金を稼ぐ能力がなければ、婚活の土俵にも上がれないということになってしまいます。

 また、婚活で成功して結婚できたとしても、子供を作らない人もいます。なぜなら、子供を育てるということは、自分を否定することだからです。自分の好きなことができない、キャリアの妨げになると考えるからでしょうか。DINKS(ダブルインカムノーキッズ)やTINKS(トリプルインカムノーキッズ)が増えているようですが、育児制度が充実していないというのは、子供を作らない本質的な理由ではないと私は考えています。

 さて、話を資産価値の話に戻したいと思います。専業主婦は資産価値がゼロなのでしょうか。もちろん働く能力はありますので、キャッシュを生み出す能力を資産価値と考えれば、ゼロというのはありえないでしょう。それでは、キャリア女性(働きながら子供を預ける女性も含む)とキャリアのない専業主婦の資産価値は大きく違うのでしょうか。

 この両者の違いは、仕事に時間を投資するか、育児に時間を投資するかの違いであるとも言えます。現在から定年退職までのキャッシュフローは断然キャリア女性の方が上です。ところが、2代、3代と後孫の世代までのキャッシュフローを考えると、どちらが上か答えを出すのが難しくなってしまいます。子供がどのように育って、どのような家庭を築くかはわかりません。つまり、個人や夫婦、家庭という次元での資産価値は予測ができても、後孫を含めた家系という次元での資産価値は予測ができないのです。

 「3つ子の魂100まで」という言葉について、この言葉は「愛情の豊かさ」「情緒の安定」が何よりも人間の心のベースになるということを教えてくれていると私は考えています。十分な光と水と栄養を受けた植物が豊かな果実を実らせるように、十分な愛情を受けて育った子供は豊かな人格を実らせます。母親以上に自分の子供に愛情を注げる存在がいるでしょうか。そうでない母親がいるのも事実ですが、祖父母も、保育園の先生も母親の愛情には勝てないものです。犬でも人間の愛情があるかないかわかるのです。ましてや、人間の赤ちゃんはどれほど愛情を敏感に感じ取っているでしょうか。おそらく、大人の想像以上に感じているのではないかと思います。

豊かな愛情とそれを軸にした情緒の安定

は、頭がいい人もそうでない人も身につけることのできる平等な人間の心のベースです。逆に言えば、様々な能力はこのベースの上に乗ってこそ力を発揮できるのです。頭が良く、収入が多くても幸せを感じることができない人が多いのは、このベースの部分に問題があるからと言えるでしょう。

 今の時代多くの人が少ない勝ち組を目指して、自己啓発に取り組んでいます。勝間和代さんはそんな人たちにとって明確なベンチマーク的存在ですが、著書『起きていることはすべて正しい』の中で4つのパーソナル資産の重要性を上げています。

4つのパーソナル資産
経験
技術
お金
人脈


勝間さんの哲学のキーワードは上記のように「自立」です。会社や地位などの固定的な資産(ストック)に依存するのではなく、自らの能力、創造力という資産こそ重要という考えです。この考えはすばらしいと思いますが、勝間さんがどのような読者を想定してこのような考えを展開しているのかということを考えてみると、キャリア人やある程度知的なレベルの高い人の姿しか浮かばないのが正直な私の感想です。語弊があるかも知れませんが、これは強者の思想です。想定外の人たちのことについては、別の方法(福祉や寄付)で取り組んでいるようですが、先に述べた「婚活」と同じように何か本質的なものにたどり着けていないように感じてしまいます。

 資産という言い方が正しいかどうかわかりませんが、大切なもの(資産)の価値観はより本質的なところへと、これから変化していくと私は考えています。つまり、パーソナル資産はより本質的な価値へ向かっての過渡期な時代の価値観なのではないかと。

地位、身分や不動産などの固定資産→パーソナル資産→新しい資産

 




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