やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
プロフィール

やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

カレンダー

08 | 2009/09 | 10
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

ブログランキング

FC2Blog Ranking

FC2Blog Ranking

ビジネスブログ100選

ユーザータグ

リンク

このブログをリンクに追加する

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

FC2カウンター

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

夫婦別姓に関して
 政府は、夫婦が別々の姓を名乗ることを認める選択的夫婦別姓を導入する方針を固めた。(中略)しかし、別姓を選んだ夫婦の子の姓に関しては、法務省案が「複数の子の姓は統一する」としているのに対し、民主党などの案は子の出生ごとに決めるとしており、今後調整する。千葉法相は17日の就任会見で、夫婦別姓導入に前向きな考えを示した。 (読売新聞)

 新政府が誕生して1カ月もたたないうちにやはりこの法案が出てきました。社民党の福島党首は夫婦別姓論者の急先鋒です。連立政権のいる間に一気にレバレッジをかけて出てきたといった感じです。まるで、ROE(純資産当期純利益率)戦略を見るようです。

他人資本・・・民主党議員(左派は除く)
自己資本・・・社民党議員
ROE・・・利益(法案実現という果実)



話がそれましたが、私は今の時代において、上記の夫婦別姓導入することについては反対です。なぜなら、メリットよりもデメリットの方が大きいと思うからです。別の言い方をすると、

メリットを受ける人よりも、デメリットを受ける人の方が多い

ということになります。結婚の相対化、教育の低下など、家族、教育、福祉の分野においては、今多くの問題が山積みの状態です。そのような状況の中にあって、上記のような夫婦別姓制度を導入することに何のメリットがあるのでしょうか。火に油を注ぐようなものです。

次の2つのポイントが私の反対する根拠です。

①結婚の相対化がますます進むから
結婚しない人が増えていると同時に、結婚した人の実に4分の1ができちゃった結婚です。この現象を見ると、結婚は果たして敷居が高いのか、それとも低いのかよくわからなくなります。が、人生における結婚という絶対的な位置が薄くなっているということは間違いない事実です。今婚活ブームですが、婚活と就職活動を同じ次元でとらえることは間違いです。

結婚は人生における重要な儀式であり、夫婦とは特別な関係

であり、姓を一致させることは夫婦という新しい立場で生きていく一つの証として大きな意味を持ちます。このようなメリットをあえて否定することは、結婚は特別なものという意識とは反対の方向、つまり結婚は自由という結婚相対化の方に意識が流れやすくなることが考えられます。簡単にいえば、離婚が増える可能性が高くなるということです。

②子供にとってマイナス
子供がどちらの姓をとるのか自由に選択できるというのは、意味のないことです。子供は親を選べないから、親子という何事にも変えることのできない価値があるのです。子供にとって、父と母は分けて考えることができない存在です。子供に本来悩まなくてもいいことを悩ませることになります。


今回の選挙の最大の関心は、社会保障、福祉分野でした。社会保障、福祉分野のマニュフェストの中でこの夫婦別姓制度だけは、負のベクトルを持っています。個人の自由を何よりも優先させる一部の人たちが叫んでいることを全体の意見としてとらえることには注意が必要です。そもそもまともな家庭を築いている人は、このようなことは拳を振り上げて主張しないものです。





スポンサーサイト
秩序と自由
 先日の連休。家族で『佐倉くさぶえの丘』へ遊びに行ってきました。印旛沼の湖畔にある歴史のある野外体験型施設&公園といった感じのところです。子供は山に行きたいと言っていたのですが、遠出は渋滞に巻き込まれるので、近場の森を選んだのでした。

 この公園にはミニ鉄道があるのですが、なんと線路の長さは1100メートルもあるのです。小さな細い線路が森の中に張り巡らされていて、踏切も随所にあります。子供が集う公園に行くと必ずこのようなミニ鉄道があります。なぜなのか線路を見ながら考えてみました。

 まず第1に鉄道は子供が喜ぶものです。我が家の子も女の子ですが、飛行機や自動車よりも鉄道の方が好きです。そして、その関心は列車そのものよりも、レールの方に多くあります。したがって、文字通りレール(鉄道)に子供は関心を抱くということになります。これは大人についても言えることです。

 よく、田舎の野山などに車で出かけた時、ふと気がつけば道路と並行して線路が走っている光景を見て思わず心が躍る経験がないでしょうか。この思いは田舎で僻地であればあるほど強くなります。

これは、

自然(無秩序)の中にある法則性

を見出すことに喜びを感じる人間の本性の表れだと思います。法則は秩序と規律を持っています。線路でいえば

枕木が規則正しく並んでいる
線路の幅は一定
何よりも列車は線路の上しか走れない
脱線してはいけない


ということになります。このことは別の角度から見ると制約条件ということになります。制約条件があれば当然自由に好き放題ができません。好き放題にするということは制約条件、すなわち秩序、規則を破るということになります。

人生というのは自由に自分の線路を描くようなものです。どこにどんな線路を作ってもいい。ただ、線路自体が秩序と規律、法則性を備えたものでなければ、線路と呼べません。制約条件の中で自由な創造性を発揮していく喜びを鉄道は子供たちに、また大人にも教えてくているように思います。

CIMG0283.jpg

厳しい新聞店
 10年近く親しくしている新聞販売店の女性が久々に訪問してきました。新聞は読まないので、たまに短期間だけというスタンスでおつきあいしてきました。ここのところはずっと取っていませんでしたが、今回3ヶ月だけ購読することにしました。

 ここのところ、ネットでニュースを見ることが多くなっていますが、一般紙の配信するニュースは、どれも似たりよったりの感じが否めません。あえてその情報源の新聞をわざわざ読みたいという気持ちがまったく起こりませんでした。

 新聞そのものよりも、新聞店の人のほうに魅力を感じます。彼女は浦安でもう10年以上この仕事をしています。街の情報や、世相などをとても詳しく把握しています。彼女と話をしていると、街の空気というものを肌で実感することができます。つまり、新聞販売の営業以上の価値があるわけです。

 人々のコミュニティの場が少なくなる時代、地元密着の営業の人の果たす役割は大きい

 ちなみに新聞の販売実績の方は、不況ということもあって厳しいようです。おそらく全国的にそうでしょう。新たな新聞販売店の社会的な価値を見出し経営に生かしていくことが必要でしょう。

無題



民主党の少子化政策は
鳩山内閣が発足しました。新内閣の記念写真を見ましたが、鳩山総理の隣に社民党の福島党首がきらびやかな衣装で立っているのが印象的でした。また左端には国民新党の亀井議員が。まるで、中道の鳩山首相を中心に、左翼の福島氏と右翼の亀井氏が左右に並ぶというとても象徴的な構図だと思いました。

 この構図が意味するところは、民主党あるいは日本の政治はまったくイデオロギーがないということです。イデオロギーなどという言葉は、おそらく多くの国民が引いてしまう言葉だと思います。論理より情緒を優先する日本の政治家と国民は、

イデオロギー=行動の論理的根拠

を曖昧にする特徴があります。例えば、なぜ不倫はいけないかということに関しても

アメリカ人  聖書という絶対的な根拠(もちろん聖書を否定する人もたくさんいますが)
日本人    道徳的にというだけで絶対的な根拠がない


実際に不倫をするかどうかは別にして、思想的(宗教的)な絶対的な拠り所があるかないかというのは大きな違いだと思います。アメリカにおいては共和党(キリスト教保守主義)と民主党(リベラル派)の2大政党制はこのイデオロギーの違いの上に成り立つものです。しかし、日本においては自民党と反自民党というまったくアメリカとは次元の違う軸で2大政党制が主張されてきました。(もっとも今の現状は民主一党制といってもいいですが)

ところで、福島社民党党首は少子化・消費者担当大臣になりました。個人の権利を主張し、夫婦別姓、家庭の秩序を壊すようなフェミニスト議員が少子化担当とは本当に恐ろしいことです。社民党には元としたイデオロギーがあるので、彼らはその主張を曲げないのです。曲げたとしてもそれは方便です。平和ボケしている今、このことに気づかない人が多くなっています。

 少子化の問題は教育、福祉と密接なかかわりを持っています。小さな子どもを持つ私としては、教育が心配です。子ども手当てどころではありません。幸い千葉県知事は保守系の森田健作知事です。早く地方分権を進めて、国の画一的な政策から自由になって、おかしな政策に従わなくてもいいようになってほしいものです。
良い格差と悪い格差
 先日、ワールドカップの南アフリカ大会を前に、テレビで南アフリカの現状が放送されていました。アパルトヘイトから黒人が解放されてから15年くらいになる今でも、貧富の差が激しく犯罪が絶えないとのことでした。

 黒人たちは平等を手にしました。それでは、機会の平等も手にしたのでしょうか。

人権的には機会の平等を手にしているかもしれません



貧困のため、経済的な機会の平等は手にしているとはいえません。


これは、行き過ぎた自由競争によって生まれる格差拡大によって生まれる負の現象です。格差の拡大による貧困層の増大は社会の治安を悪化させ、全体的な活力を衰えさせます。結果的に、富裕層の生活も脅かされるようになります。そういう意味では富裕層はもっと政治や格差問題に眼を向けるべきではないでしょうか。さも自分たちには関係ないといわんばかりに、政治や社会福祉に関してはまったく関心を持たず、ひたすら仕事の範囲だけでの自己実現を図ろうとする富裕層や富裕層予備軍が増えているように感じます。

今回の総選挙の日、ビジネス系のブログランキングを総覧して、どれくらいの人が選挙について書いているか調べてみました。私の印象ではかなり少ないのではと感じました。ビジネスは経営のカテゴリーに入るので政治経済とは関係がないかもしれません。しかし、経営は外部環境の影響なしには成り立たないのが事実です。

 さて、資本主義社会では格差は不可避です。したがって、ある程度の格差が生まれるのは仕方がないことです。自由競争による活力のある社会の恩恵を享受するためには、自由な市場に裁量権を認めるがこと必要です。しかし、行き過ぎた格差は、貧困層の増大を招きます。ここに、政府、行政の役割があります。小さな政府にして、すべて民間に移譲してはいけないのです。

市場原理派もしくは市場の強者の中には弱者に対して次のような意見を言う人がいます。

すべて自己責任
努力しないのが招いた当然の結果
タックスヘブンは当然
付加価値の低い労働をするから金持ちになれない


なるほど、部分的に見ればこの意見は間違っていません。しかし、社会的全体という大きな観点から見れば、正しいとは言えないのです。人間は一人では生きていけないものです。利益は社会がもたらせてくれるものです。また、すべての人が知的労働だけしたらどうなるのでしょうか。肉体労働はすべてロボットに任せるのがいいでしょうか。

付加価値の低い労働者は働く必要がないのか
働くとは人間にとってどういう価値があるのか


格差が引き金となって、この本質的な問題を考えざるをえないところに来ています。

現代のサロンは
 ちょっと趣味の話になりますが、ここのところゲルハルト・オピッツのブラームスピアノ独奏曲全集を何度も聴いています。日に日に秋の気配が深まる中、ブラームスのピアノ曲ほど心に響くものはないでしょう。と同時にリストのピアノ曲もよく聞いています。ラプソディックなリストのピアノ曲も秋の優雅な趣を伝えてくれます。

 この2人は19世紀の半ば同時代に生きた大作曲家です。リストの方が20歳以上年上で、ブラームスが生まれ故郷のハンブルグから出て、初めて演奏旅行に出かけて訪ねたのがサロンに君臨するリストでした。リストは当時音楽界の寵児で、彼の周りには多くの出世したい音楽家や女性が集まっていました。田舎から出てきた内気な青年ブラームスは、この自己顕示欲の強いリストを中心とするサロンの体質に、嫌悪感を抱きリストのサロンを去りました。彼が向かったのは、自己顕示的なリストの音楽とは全く違った芸術観を持ったシューマン家でした。大作曲家のシューマンと妻で大ピアニストのクララとその子供たちで構成されるシューマン家が、小さいながら暖かく飾り気のない、何よりも芸術の本質を追究するブラームスにとって理想のサロンだったのです。

 名の売れていない作曲家にとって、サロンは憧れるものです。サロンに入り、気に入れられば名前を早く世に売ることができるからです。実績と実力があれば、サロンと対等に渡り合えるかもしれません。しかし、実力と実績が中途半端なものであれば、サロンに呑まれてしまい、等身大の自分以上のものが独り歩きしてしまいます。また、自分自身がそのような虚像に満足してしまうため、成長が止まってしまう危険性もあります。ブラームスは自分の芸術(人生)の目標を果たすためには、どのように身の振りの舵を取ればいいか、本心の声に従ってまっすぐに行動したのでした。彼がリストのサロンに入って満足してしまったら、現在の私たちは、深い内面性をたたえた彼の作品を耳にすることはできなかったかもしれないのです

 今の時代にも、多くのサロンがあります。サロンを構成するメンバーの属性としては、お金持ちのサロン、知的な人たちが集まるサロン、また空間的には、リアル世界のサロンとネット上のサロンがあります。こういったサロンの中心には必ずカリスマ性のある人物が存在します。ここまではいいのですが、そのサロンにお金や名声、人気、女性といった存在が重要なファクターとして流通するようになると、ちょっと考えた方がいいのではないかと思います。

地味でも大きく育つために何をするのがいいのか、限られた人生経営資源を有効に使いたいものです。

CIMG0261.jpg
市原の夕方の田園風景

複雑系
 昨日は休日。長女の幼稚園の行事『お父さんと一緒に遊ぼう』に参加してきました。この行事は毎月行われていますが、私は今回初めて参加しました。幼稚園児の数は約250人。この行事に参加したお父さんは私も含めて5人。平日で5人参加というのは多い人数のようで、女手しかない幼稚園の先生たちから喜ばれました。
 2時間ほど子供たちと遊ぶだけのイベントで、参加する前は子供に受け入れられるだろうかと心配していましたが、案ずるより産むがやすし、子供たちと触れ合う中であっという間に時間が過ぎ去っていきました。

 さて、このイベントに参加したお父さんたちと話していて、ちょっと驚いた話。

 すぐ隣の幼稚園では年中児童がとても少ないそうです。隣の幼稚園の方がJRの駅も近く、住むには便利のいいところですが、その地区の一軒家やマンションはほとんど20年以上前の80年代前半に建てられた古いもので、若い夫婦があまり住んでいないようなのです。賃貸住宅もほとんどないので人の転入転出の動きが少ないようです。

 この現象は長女の通う幼稚園にもあてはまり、この幼稚園の学区は2つの地域からありますが、片方の地域は80年代前半に建てられた大規模団地で、片一方はここ10年で住宅やマンションが建てられた地域です。児童の居住地域の比は3対7で来年から、新地域の方に小学校ができることになっています。

格差は大都市と地方だけではない

と感じた瞬間でした。浦安市は湾岸地区に大規模マンションが次々と建設されて人口がどんどん増えていますが、一方では上記のような地域も抱えているのです。このことは、他の都市にもあてはまることだと思います。

物事を一律にとらえることはできない

業界についても、会社についても、地域についても、ある集団の中に格差が生まれているのが現代社会ではないかと思います。商売でも行政サービスでもターゲットを絞ったピンポイントなサービス、対応が望まれます。真実を捉えて、分析し、的確な意思決定と政策(戦略)実行する力が必要です。

地引網のような、一律的な通り一辺倒のサービスは今後廃れていくでしょう。そういう意味で、地方分権は必ずなしていかなければならない課題の一つだと思います。
組織は1枚岩で
 研究会のレポートの締め切りが2つも重なってブログを眺める余裕がここのところ少なくなっています。あらためて、ワードからブログの入力画面に移ると、ほっとします。レポートと比べて、ブログは好きなことを自由に書けるのでやはり楽しいですね。

 民主党が天下を取って4日。連日のようにニュースは政治ネタばかりです。その中で、連立について。社民党と組むかどうかということが話題になっていますが、組まないのが賢明な選択だと思います。組めば民主党は思い通りに政策を組めなくなるでしょう。そもそも、政権をとることよりも、政権をとった後どうするかということを最初から考えて選挙に臨むべきであったのです。これって、よくある話ですよね。

合格(あるいは勝負)にこだわるあまり、合格(競争後)のビジョンそっちのけで勉強(競争)する

のとそっくりです。当選も合格も勝利も、メルクマールに過ぎないのです。メルクマールは手にするべきですが、メルクマールだけ手にしても意味がありません。

 さて、会社組織においては、組織をかき乱すもの、秩序を乱す者がいれば、当然全体に悪影響を及ぼします。したがって、そのような人材には組織から退いてもらうべきです。とくに、トップのリーダーシップの足を引っ張るものは問題です。社民党のイデオロギーは普通ではありません。したがって、民主党は社民党と組めば、党内がめちゃめちゃになるでしょう。国民からうそつき呼ばわりされないためにも、社民党からうそつき呼ばわりされるべきです。

どうせウソつきと呼ばれるなら、社民党だけから。被害を最小限にとどめよう


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。