やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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目立つ力
 久々に勝間さんの本を読みました。やはり、勝間さんの本は清涼飲料水のような魅力があります。香山リカさんの『しがみつかない生き方』にあるように、距離をおいて勝間さんブームを見つめていますが、やはり経営戦略の面(この場合の経営とは企業に限定されない)からみた勝間さんの発想は、正論だと思います。

 ところで、「目立つ」ことについて。バランスが重要ではないかと思います。バランスとは、注目と実力のバランスです。



①実力がなくて目立つだけだとしらける
②実力があるのに目立つ努力をしなければチャンスを失う



ので、実力をつけながら自分を売り込む姿勢が必要です。


ところで、もうちょっと前になりますが、私はブログの自己紹介やタイトルから中小企業診断士や社労士といった資格を外しました。資格は持っていても、それで食べているわけではないし、実力があるわけではありません。何だか、学歴を披露するようで、見方によっては「それがどうした」という気分になるのではないかと自分ながらに恥ずかしくなったからです。

勝間さんの本に『起きていることはすべて正しい』というのがあります。私の生きてきた現在までの結果で、誰にでも公言できることはプロフィールに書いてあることがすべてです。もちろん、ステップアップしたいという気持ちは溢れるほどあります。ただ、


目立たないところでの努力と成長


なくしては、目立つことはできないというのが逆説的ですが、実際のところではないかと思うものです。

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名ばかり管理職について
 ここのところ、名ばかり管理職のサービス残業問題で会社が裁判で負けるケースをたびたび見かけることが多くなりました。不況のため残業は減っていると思いきや、不況であるからこそサービス業を中心に実りの少ないサービス残業が目立つようになってきているのかもしれません。

 なぜこのような問題が起こるのでしょうか。それは管理監督者の労基法上の扱い方に対する認識が曖昧だからということになりますが、それ以上に管理監督者の責任と権限に対する理解が曖昧であるという根本的な原因があります。

ここで労基法の労働時間の適応外となる管理監督者の条件をあげておきます。

①実質的に経営者と一体的な立場にある
・業務内容、職務内容が一般社員と異なる
・部下の人事権を有する。人事考課の査定権限を有する。
・役員会への参加と決議権。
・部下の数が少なくない。

②出退勤についての自由裁量権がある
・出勤簿はつけていない
・就業時間に拘束されない
・欠勤、早退などの上司への届けは必要ない

③地位にふさわしい賃金面での処遇
・一般社員賃金よりも相当に増額された賃金
(残業や休日出勤などをしない状態で)

あと、管理監督者のあつかいで、よくあるのが「年棒制で残業代は含まれている」という根拠です。これに関しては、残業代を否定するための根拠とすることはできません。
規制とセフティネット
 千葉大学の女子学生が殺害されるという事件が起こりました。マスコミでは「なぜあんないい子が殺されないといけないの」「犯人が許せない」とお決まりのパターンの報道がされています。もちろん、殺人は絶対に許されるべきものでありませんが、この報道の背後にある殺人の遠因となった女子学生のキャバクラでのアルバイトに対する問題性について誰も触れようとしないことに疑念を抱きます。

 似たような事件に、押尾学事件があります。亡くなったホステスの女性は違法な麻薬を常用していました。本来ならば、逮捕されるべき立場です。ところが、亡くなってしまったため、被害者としての立場でしか見られなくなってしまっているのです。

 キャバクラと麻薬が同じレベルの問題であるというつもりはありませんが、両者ともに共通するのが、男女関係の問題が起こりやすい環境であり、こういったシチュエーションで生じる「愛」のない男女関係は刹那的で、殺傷事件に発展する危険性が大きいということです。

 「君子危うきには近寄らず」ということわざがありますが、自らリスクの高い行動に出て、リスクに遭うということに対しての責任の大切さをもっと学ぶべきだと思います。今の世の中を見まわしてみると、人間関係における事故を避けるためのルールや規制は少ないが、事故が起こった後のセフティネット(保護)はほどほどあるのではないかと思います。


ここでいう事故とはできちゃった結婚(あえて並べました)DV、虐待、離婚、殺傷事件などのことです。


男女関係や家族関係はプライベートなことなので、当事者たちの自由、自己責任を尊重すべきということで、そこに掛ける規制はほとんどありません。


あるのは心の規制だけです


ところが、この心の中の規制は簡単に崩れ去ってしまう世の中になってしまっているようです。保護段階では遅いのです。大切なものを失わないようにするためには「規制」(「規範」といった方が適切かも)が絶対に必要です。

卸売市場はいらない論について
 赤松農相が卸売市場の強化が必要だと述べたことに対して、あるコンサルタントのブログでは、卸売市場の強化は時代に逆行しており、卸売市場は零細小売店や飲食業のためにしか存在価値がないという意見が述べられていました。

確かに、卸売市場の取扱高は年々減少傾向にあります。しかし、今もなお、青果物の7割以上は卸売市場経由で流通している事実を考えると、卸売市場の果たしている役割は決して低いとは言えないのも事実です。

 上記のコンサルタントのように卸売市場について、

①中間マージンにより消費者は高い買い物になる
②セリにより生産者は安く買いたたかれる


のようなまるで市場は悪者のような言い方をするコンサルタント、マーケッターという肩書きの人が結構いるものです。この人たちは一方向からしか市場の機能を見ていないのではないか、また、現場で働いたことがないので、生鮮品の特徴や、物流、加工のことが全く分かってないのではないかと思うことがよくあります。

 物流の基本として、小売店に商品を単品で届けることは、ロットの都合上コストが高く、小売店側の荷受業務も複雑になるため、ほとんどありません。したがって、小売店の商品カテゴリーごとに商品をフルライン供給する業者にしぼって納品が行われるのが普通です。産地から、個々の青果物を直接小売店に届けるとなると大変なことになり、それこそ発注荷受業務を行う店の社員からは悲鳴が聞こえてくることになるでしょう。

 大規模なスーパーになると、物流センターに一度商品を集めてから、各店に商品は配送されます。センターで商品の仕分けが行われるのですが、青果物は段ボールや、コンテナの形が多種多様で、とても扱いにくく、センターでは嫌がられるものです。したがって、市場の中にセンターを設けている大規模小売業者もいます。

 このように考えてくると、市場は小売店の物流センターであるとみることができます。頭のいい大手流通小売業者は、あえて卸売市場の中に青果専門の物流センターをオープンさせています。既存の物流機能を使った方がコスト的にも安上がりです。高速道路のインター付近に大規模物流センターを作るのがいいという一律的な発想はいかがなものでしょうか。

 卸売市場の役割については、まだまだいっぱいあって書ききれませんが、市場の誤解に対して誰も反論しないので、たまに書いていきたいと思っています。ちなみに、青果物においてセリ販売はほとんど行われておらず、取引の9割以上が相対取引です。いまだにセリが行われているいうコメント自体、何も知らないいい加減なコメントだと思わざるを得ません。

 




内部告発の背後にあるもの
 先日、ある大手流通小売店において、生鮮食料品の製造年月日の偽装が発覚し大きく報道されました。裏情報を取ってみると、どうも派遣社員の内部告発だということでした。

 ここのところ、産地偽装や製造年月日の改ざんなどが次々に発覚し、それを受けて、マスコミや食品ジャーナリスト、コンサルタントは食品の信頼と安全安心が揺らいでいると声を張り上げています。私はこういった報道を見ると


またか


と思いますが、食品偽装をするモラルのない会社が多いということに対してではなく、こういった事件を声高に叫ぶ人たちに対してです。


記事としてはまったく平凡で、意見としては平面的


うんざりします。こういった事件の背後にはあまり表に出てこない2つの事実があります。


1つは、偽装や改ざんは昔から行われてきていて、最近はむしろ減ってきているということ。食品の表示について厳しくなったのは最近のこと。昔はもっとずさんだったのです。


2つめは、産地偽装の発覚はすべて内部告発によるものだということです。抜き取り調査や検査で発見できるということはまずないと思っていいと思います。内部告発をするということは、会社が不利益を被るということであり、会社が不利益を被るということは、社員も不利益を被るということです。ところが、なぜ社員は不利益を被る行動に出るのか、それは


会社の利益と社員の利益は一致しなくなっている


ということです。会社が儲けても、損しても自分には関係がない、特に派遣社員やアルバイト社員の内部告発が多いことはこのことを物語っています。心理的な問題としては組織への帰属意識、上司への帰属意識がないということになります。

また、成果主義の浸透した会社においては、社員同士はライバルなので、下手なことすると競争から蹴落とされるので、偽装などの不正はあまり起きません。偽装が発覚する会社はほとんどが、競争意識があまり働かない、老舗企業か中小企業、部署では製造現場です。


上記のように、内部告発は社会的正義という大義名分から行われるのではなく、疎外感や嫉妬心などの個人的な心理を動機として行われます。そういう意味では、外から社員、派遣社員、パートを採用するということは、家族の中によそ者を招き入れるようなもので、慎重さが必要です。


塾に群がる親たち
 月に一度、日本橋のとある公民館において、農業の研究会に参加していますが、そのすぐ近所に中学受験のための予備校があります。研究会が終わって帰る午後9時ころ、その塾の前を通るとちょっとした人だかりがいつもできています。塾へ通う生徒の父兄の方たちです。警備員も出て、ビジネスマンの姿もまばらなこの時間帯に一体何があるのだろうと知らない人なら思うような光景です。


お金持ちの子=勉強ができる子=塾に通う子


というのが今の常識となっています。私の小中学校時代はちょっと違うような気がしました。私の育ったのは学区に信号機が一台もないような田舎で、塾に行っている子の家庭がお金持ちかどうかはわかりませんでしたが、


勉強ができない子=塾に通う子


だという認識でいました。1980年代と比べて今は、親の経済力も、学校の教育も大きく変化したでしょう。ただ勉強に対する基本的な姿勢は本来変わるべきものではないと思います。

勉強というのは「コツ」をつかむと、次々と応用がきくようになって、楽しくなってくるものです。勉強ができる子は、自ら能動的に勉強をしていくものだ思います。

長女が来年小学校に入学します。私は「ゆとり教育」に対する不安を持っています。「ゆとり教育」は受験競争への批判から始まったものですが、


勉強のできる子から教育の機会を奪った


と言っても過言ではありません。一番困るのは


勉強ができるけれども、お金持ちではない家庭の子供


です。塾に行くにはお金がかかりすぎるし、学校はまともな勉強を教えてくれないという板ばさみになってしまうのです。平等を主張してきた「ゆとり教育」が、皮肉にも結果的には教育の機会の平等を奪っていることになります。


私も妻も塾なしでそこそこの成績を得ていました。子供が塾なしでどこまで成績を伸ばすことができるか挑戦してみたいと思っています。






貧困率について
 日本の貧困率が15.7%という調査の結果が厚生労働省より発表されました。ちなみにこの場合の貧困率は相対的貧困率で

日本の各世帯の所得の中央値(メジアン)の半分以下の所得の世帯の割合

ということになります。簡単に言えば所得が普通の家庭の半分以下の家庭の割合です。

この割合は高いのか低いのか。OECD各国の中では4番目に高いので他国との相対的な比較では高いと言えます。一方、日本のGDPの高さを考えると、飢えるような貧困はないのでそれほど深刻ではないとも言えます。

ところで、この問題をめぐっては有識者が様々な論を展開していますが、バランスのとれたものから結構偏った論まであります。特に目立つのが、

①貧困の問題は社会しいては政治の問題。強者が弱者から搾取している。
②貧困には我関せず。それは本人の問題。とにかく儲けて自分たちは優雅な生活を送ろう。


私はその中間といったところでしょうか。おそらく、平凡な中流家庭の人は私のような考えの人が多いのではないかと思います。

自分の身を守りながら、社会にも働きかけていく

という意識が働くのでしょう。

ところで、貧困の問題に限らず、人は自分の立場を守ろうとする自己防衛意識が自然に働きます。すなわち、自分の立場を肯定する発言や考え方を知らず知らずのうちにしてしまうのです。

上記の例で言えば、所得が少ない人や、ハンディを負った人は、社会、政治を変えてほしいと考えやるでしょうし、お金持ちの人は、今の豊かな生活を揺るがすようなことはしたくないので、貧困問題に対しては見て見ぬふりをするかもしれません。私は識者のコメントや著書を読むとき、プロフィールにこだわります。なぜなら、

その人の論には、必ずその人の立場を有利(あるいは正当化)にしようとする動機

が無意識のうちに働くと考えているからです。例えば、結婚しているのかしていないのか、子供はいるのかいないのか、何年生まれか、何をしてきた人か。結婚や子どもについては、プライバシーだからということで表に出てきませんが、この点はとても重要だと私は考えます。

人格は家庭の中で形成される

と思うからです。貧困の問題は社会保障政策の分野です。この分野を経営していくためにはバランスのとれた人格が必要です。絶対的に正しいモデルが存在しない現在においては、このバランス感覚こそが最も重要なのではないかと思います。
色あせない価値
 先日、ピアノの見本市に行ってきました。クラシック好きの私が子どものころやっておけばよかったと思うことの第1番目がピアノでした。音楽で自分の思いを表現できたらどんなにすばらしいだろうか。長女がピアノをやりたいと言い出したので、私は決意しました。ピアノは現在の楽しみであると同時に未来への投資です。

 さて、会場には新品、中古のグランドピアノ、アップライトピアノ、電子ピアノが数多く展示されていました。価格を比較すると

①グランドピアノ
②アップライトピアノ
③電子ピアノ

という順番になります。電子ピアノはグレードが一番高いものでも、中古のアップライトピアノの値段に及びません。楽器は消耗品ですが、電子楽器はアナログ楽器に比べるとより消耗品的であるといえます。

 さらに、業者の人と話していると、ヤマハやカワイなどの一流メーカーのアナログピアノでも、最近の新品は壊れやすいとのことでした。一流メーカーとあって、価格は高いのですが、コストダウンのためにどのメーカーも中国で製造しているとのことでした。部品も昔は木製だったものが、プラスチック製に変えられていたりと、コストダウンをしなければ商売そのものが成り立たないといった厳しさが伝わってきます。

 同じアナログピアノでも、その製造方法や部品は昔のほうがはるかにアナログ的だと言えそうです。中古でも保存状態の良いものはいい価格がついていました。楽器の価値は、使いやすさでもオプションでもありません。単純に新旧の軸だけでは評価できないものがあります。


時間がたっても色あせない体験、価値


を創り出せる、そんな人生、仕事ができたらと思いました。
政治的解決に譲る
会社で資材の取引先の見直しを行っています。私の目指す資材調達のプライオリティは価格ではなく、ロットと調達リードタイムです。つまり、取引先にはジャストインタイム対応を求めています。

 先月、ある既存取引先に、ジャストインタイム対応ができないなら、それができる業者にチェンジする旨を言い伝えました。この会社の営業マンとは親しく人情的には気が進みませんが、自ら決定した目標・方針を達成するために決断したのでした。

 私の今回の要求は、営業マンレベルで解決できる問題ではなく、経営レベルで動かなければ解決できないものでした。営業マンレベルで解決できないなら管理職レベル、管理職レベルで解決できないなら経営レベルでの対応が必要になります。

 このいずれのレベルにおいても、問題解決の中心は顧客の要求を自社の経営資源をいかしてどのように満たすことができるかというものでなければなりません。ところが、この会社は経営レベルにおいて、顧客ではなく自社の都合を中心とした解決手段を出してきたのです。すなわち、政治的解決手段を用いてきたのでした。詳しいことは言えませんが、「取引をやめれば、お宅に便宜は図らないぞ」という高飛車な対応をしてきたのです。

 このような対応を取られると、顧客の立場からすると悪い印象しか持ちません。情けである程度の資材についてはそこの会社のために残しておこうと考えていたのでしたが、そのような気もなくなってしまいました。

 ただ、会社における取引の中では、譲歩も必要です。私は熱くなってしまいしたが、ここでの取引はあくまでも、私対取引先の会社ではなく、私の勤務する会社対取引先の会社です。そもそも会社対会社の関係はドライなもの、個人の強い感情が入るのはあまり良いことだと思いません。大人になって一歩引いてみて考えることが、長い眼で見ればよいのではないかと思います。

無題
中小企業の組織レベル構造

人間性から農業を捉える
 ここ1週間の間、農業に関するレポートを3件書き上げました。そして、今日は発表。農業の人事労務について、ドラッカーのマネジメントをベースにまとめました。

 レポートを書いていて思ったこと。今農業ビジネスがマスコミや出版などで取り上げられる機会が多いですが、その多くが

農業に企業経営学を取り入れよう

というものです。確かに、企業経営学を取り入れて成功している農業経営体は多くあります。しかし、農業の特色を考えて、農業風にアレンジして企業経営学を取り入れなければ意味がありません。農業と工業、商業は並列に並ぶ関係ではないと思います。

また、農業で儲けよう

というのも、手段と目的が逆になっているのではないかと思います。ドラッカーでいうと、人間の労働には2側面があります。

人間性(働き甲斐)と仕事(効率性)

儲けることばかりを考えると、仕事(効率性)ばかりを追い求めるようになります。こうなってくると、わざわざ農業を選ぶ理由がなくなってきます。

農業には次のような基本的な価値があります。

無題

コミュニケーション・キャピタル
 ここのところ、近所の知り合いの方から様々な差し入れをいただいています。我が家でも、ささやかな差し入れを行ってきましたが、モノを縁にして実に多くの方々と付き合いが生まれてきました。とても深い関係になった家庭、それほどでもない家庭と様々です。

 単なる近所づきあいと言ってしまえばそれまでですが、仕事と利害関係のない人たちとのつきあいというのは、意外と大きな財産(キャピタル)ではないかと思ったりします。ここのところ、孤独死が問題になっていますが、地域コミュニティとのかかわりの重要さを実感します。このコミュニティとのかかわりは最後のセフティネットになるのではないでしょうか。

不確実性時代を生き抜くセフティネット

①自衛的セフティネット
競争に勝つこと。勝ち組になること。簡単にいえば、収入アップ。具体的な行動としては、投資、自己投資。

②政策的セフティネット
個人的な成功よりも社会的な政策の充実を望む。①が経営的解決策なら、②は政治的解決策。

③コミュニティ的セフティネット
①ほどミクロ視点ではないが、②ほどマクロ視点でもない。相互扶助とでも言ったらいいでしょうか。

マスコミや出版を見ていると、ほとんどが①か②のものです。③は目新しさがない、言わば当たり前のことですが、①や②ばかりを見つめるあまり忘れ去られているような気がします。


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