やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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まちおこしの切り口は
 とある研究会との縁で、ある東北の町へ小旅行へ出かけました。東京から車で約5時間。目指すは福島県の最南端である矢祭町。実は今回が人生初の福島です。

 久慈川を上って、矢祭町へ入ったのは午後3時過ぎ。曇りの天気とあってか、空はかなり暗くなっていました。矢祭町へ入るや否や、ちょっとしたお土産屋さんが茨城街道沿いに。矢祭山という景勝地でした。岡山出身の私には、思わず井倉峡や豪渓を想像させるものがありました。水郡線の線路が伯備線とダブって見えました。地元の人に聞くと、紅葉も素晴らしいが、つつじの時期がもっとも有名だということでした。

CIMG0364.jpg
紅葉の久慈川

CIMG0375.jpg
矢祭山駅 トイレがきれいでした

宿は町の中心部ユーパル矢祭。谷合の街を想像していましたが、ちょっとした平野でした。建物が少ないので、とても寂しく感じました。

CIMG0378.jpg
雨上がりの朝

何もないと言えばそれまでですが、こういった町は、今後どのような町を目指していけばよいのか。どこの町にも特産品はあるし、それなりの景勝地はあります。そうなると、ハードも重要ですが、ソフトの充実がもっと重要ではないかと思うものです。



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政治家は株主か
 ここのところ、民主党の事業仕分けに対する批判の声が上がっています。とくに学者、科学者の人たちの批判の声は大きく、結果が出るまでに時間がかかる研究分野にまで、短期的な結果を求めるのはどう考えても無理があると思います。


 事業仕分け自体の発想は間違っていないと思います。ただ、


事業仕分けの評価の基準があいまい


であることが問題です。このことは、官の事業自体に対する見方が確立していないことが問題であるともいえます。つまり、政府、地方自治体のの公共サービスに対する意義とポジションをを正しく理解できていないのです。


 研究開発機関への短期的なリターンの要求、軍事機関へのリターンへの要求を見ていると、正しい判断基準を失った事業仕分けが暴走しているように見えます。仕分け人である政治家の姿勢は


株主資本主義の株主そのもの


です。アメリカにおいては、企業は株主から短期的なリターンを求められ、短期的なリターンがなければ経営者は更迭されます。したがって、長期的なビジョンよりも短期的な結果が優先されるようになっていきます。研究や軍事あるいは教育に短期的な収益結果を求めることが必要なのでしょうか。皮肉なことにアメリカでは、研究や軍事には長期的な視野をもって、惜しみない投資が行われています。彼らは、長期的リターンを求めるべきものと、短期的リターンを求めるべきものの違いを理解しているという点で、現政府の政治家よりもはるかに戦略的です。現政府の政治家は「戦略」という言葉をあえて持ち出すのが好きなようですが、とても不自然に感じます。


上記のような事業仕分けの仕方だと、図書館も必要ない事業と言うことになるのでしょうか。本を貸すだけでは、図書館は何の収益も生まないし、著者や出版社からすれば、本の売上げの機会を減らすのですから、本来徴収できる税金を徴収する機会損失を起こしていることになります。

ここまでくれば、税金とは、教育とは、国民とは等など、政治家が選挙のときに連発するキーワードについて、基礎から勉強する必要があるのではないかと思います。


新政権は悪魔か天使か
 ここのところ、民主党の小沢幹事長の強引なやり方が目立つようになりました。民主党の政策は、事業仕分けなど評価すべきものもありますが、近視眼的であまりにもお粗末なところの方が目立つような気がします。


大きな国民の期待で誕生した民主党政権

ですが

期待はずれどころかもっとひどい


のではないかと思うことがあります。国民を土壌、政治経済を植物にたとえるなら、よい政治が生まれないのは、その土壌に原因があると思います。もっと言えば、自民党政権の時代から、国民の政治意識という土壌が弱っていたということになります。

ちょっと話が飛躍しますが、疲労した体制が革命で新しい体制に変わるとき、結果として前の体制よりももっと悪くなることがあります。

フランス革命後の恐怖政治
ロシア革命後の共産主義
ワイマール憲法時代後のナチスの台頭
植民地解放後の共産主義体制(中国、北朝鮮)


悪政により疲労していた国民が期待した新政が、前の体制よりももっとひどかったという例は歴史に多く登場します。脆弱な国民の政治土壌の上には、しっかりとした政治という植物が根付かないのです。


悪魔は光の天使を装ってくる


当然新政権に悪意はないと思いますが、現状を見ていると、上記のような気持ちを抱くことがあります。いずれにせよ、根本的な原因は私たち国民の政治的土壌の脆弱さにあります。

人材と人財
 先日、研究会で雇用システム研究所所長で日本の賃金研究の第1人者である楠田丘先生の講義を聞きました。楠田先生は現在86歳ですが、とても気が満ち溢れている方で、「人物」を感じさせる方でした。

 講義で印象に残ったのは人材と人財の意味の違いについてでした。


人材とはヒューマンリソース(HR) 労働力 アジア的
人財とはヒューマンキャピタル(HC) 労働 アングロサクソン的


人財は労働力をお金と見てしまうので、いい言葉ではないということでした。ちなみに、研究会は「人財開発研究会」ですが、今回の講義レジュメは「人材開発研究会」となっていました。

ちょっと、ビジネス本などをかじった人ならば、おそらく人財という言葉のほうに重みを感じることと思います。私もそう思っていました。先生は戦前から賃金や働くということを見つめてきた方です。バブル以降の労働しか経験したことのない私自身がいかに「時代を支配する価値観」の中でしか、物事を見つめていなかったかということに気づかされました。


挫折を乗り越えるには
 一昨日の夜から、関東地方は激しい雨に見舞われました。夜、報道番組を見ていましたが、夜の12時前、激しい雨に混じって、ヘリコプターのけたたましい音が聞こえてきました。そう、ヘリコプターは市橋容疑者の乗せた車を追って、東京駅から私のうちの近所にある行徳警察署へ向かっていたのでした。

 今回の事件について、私はあまりよく知りませんが、秋葉原の事件を連想します。なぜなら、市橋容疑者の経歴や家庭環境を見ていると、


大きな挫折感


を感じるからです。


両親が医者という裕福な家庭
千葉大学を中退
大学中退後も親の援助で生活



確かに大学を中退して、まともな就職もしていませんが、十分に恵まれた立場です。おそらく、頭もよく、そこそこの能力を持っていたはずです。逆に、「自分は本当はできるんだ」という自意識過剰に陥っていたとも考えられます。


挫折とは理想の自分と現実の自分のギャップを認めること

なので

挫折自体はよいことでも悪いことでもなくひとつの事実です。

問題は、この挫折に対してどのように向き合うかということです。挫折をばねにして奮起して成功する人もいれば、逆に自信を失って劣等感と不信感の塊になってしまう人もいます。それでは、どうして乗り越える人とそうでない人がいるのか。先天的なもの、あるいは家庭環境などによって育った人格的なものが原因なのでしょうか。


 私は他者との関係性があるかないかというのが、原因だと考えています。他者との関係性は、自分を引き上げる、あるいは悪い方向へ落ちていくのをとめる「フック」のような働きがあると思います。このフックは、「自分の内面を認めて応援してくれる」存在です。おそらく、市橋容疑者にはこのフックのような存在がなかったのでしょう。

結婚という決意
 「付き合ってみて、良ければ結婚」という番組が流行っていると先回のブログで述べました。相手の弱点を知った上での付き合いということなので、デメリットに対する免疫がついて、簡単にカップルが壊れないかもしれません。ただ、運よくカップルになった二人がその後結婚できるかどうかは全く別問題です。


 結婚は恋愛の延長線上にはない


ということを認識する必要があります。恋愛と結婚の間にはある種の飛躍もしくは断絶のようなものがあります。結婚を扱ったこれらのテレビ番組では、社会性よりも娯楽性を最優先して番組を作り上げているので、弱点をさらけ出すことが、逆に「現実はそう厳しいものではないんだ」という誤解を与えてしまう可能性があります。


 批評家の小浜逸郎氏は『結婚という決意』のなかで、結婚は必ず決意を伴うものであり、その理由として3つをあげています。

結婚がひとつの「決意」にもとづく営みである理由


①結婚が、自分自身を企画する試みだから
企画には、誤る、破綻するといった概念が発生する。恋愛は企画ではない。

②結婚は、自分の存在の有限性を意識的に告知する行為だから
自我の無限性、抽象性を否定する。つまり、自分の領分をわきまえる。

③結婚は、他人の承認を通して自分のエロス的意志を社会化することだから
夫婦というアイデンティティを社会に公認してもらう。

結婚という決意結婚という決意
(2007/10)
小浜 逸郎

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結婚の教科書
 ここのところ「どうすればよい結婚をすることができるか」ということに、特に女性を中心に関心が強まっているように感じます。ちょうど私が20代だった1990年代は、「キャリア、自立」ということが若い女性の関心を集めていたように思います。


1990年代          会社でのキャリア
2000年~リーマンショック 会社でのキャリアよりも起業、独立
リーマンショック以降     自己実現よりも結婚



かなり雑ですが、社会の状況を見て、自分ながらに感じた世界です。結局、会社では男性に勝てなかったり、自己実現できないと感じて、自分らしさを発揮できる起業、独立に方向転換し(ホリエモンブーム、カツマー、好景気、ブログの興隆)たが、現実は厳しく、独身で年をとってしまった前者(キャリア組)と数少ない成功者からもれた後者たちが、結婚に目を向けるようになったということでしょうか。


 テレビで結婚をテーマにしたレギュラー番組を今日やっていました。この番組は視聴率が高いようで、結婚をテーマにした番組はそのほかにも最近になって始まったものがあります。視聴率第1主義のテレビ局がこのような番組編成を組むことは、結婚についていかに関心が高いかということがわかります。


 結婚に関しては、個人的なプライベートな問題として「社会の規制」がないということを前にブログで述べたことがあります。「自由でOKだけど責任が伴う」のが結婚です。すべての物事の因果関係をたどっていくと必ず結婚に突き当たります。したがって、


いたずらにカップルを増やすのではなく、よいカップルを増やす努力が重要です。このことは、ただ子どもの数をいたずらに増やす少子化政策では限界があることにも関連してきます。


 これからは、おそらく「結婚の教科書」のような結婚の意味や価値にまで言及していく著書やセミナーがブームになっていくと私は予測しています。


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