やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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リスクをとるということ
 先日、マンションの管理組合の総会に参加しました。人生初めての管理組合の総会です。私の住むマンションは全部で約150戸ありますが、参加していたのは30人ほどでした。思ったより少ないので、ちょっと拍子抜けしました。

 総会の議案で印象に残ったことは、

①多くの人が自分の住むマンションの資産価値をあげたいと思っていること
②管理費を払っていない人が少なからずいること


です。私の頭には「リスク」という言葉が浮びました。


リスクとは何らかの損失の可能性にさらされているという意味(勝間和代『会社に人生を預けるな』)


自分のことを考えると

①ローンを組んだばかり
②子供が3人 これからお金がかかる
③実力・実績が乏しい


と大きなリスクをかかえています。リスクを考えると不安な気持ちになるものです。特に、先行きが不透明な今の時代には出版知識人は私のとった行動とは逆の主張をしているようにも思える節があります。

①住宅ローンよりも賃貸にすべき
②家庭より仕事・キャリア・好きなこと
③会社に依存しない。売れる自分になる。


それでは、自分はなぜこのようなリスクをとろうとしたのか、ふと考えてみました。そうすると、リターンの存在が浮かび上がってきます。

幸福な家庭を築くこと
ゆとりと楽しみのある生活


リターンのないリスクはない

私はリターンを求めて、自らリスクをとる決断をしました。自分の将来像、妻の希望、現在の収入、家庭環境、こどもの教育、資産価値などいろんなことを妻と一緒に考えて決断したのでした。私は投資をしたことがありませんが、自分のとった行動はまさしく投資だと実感しています。

これからも投資を続けていくでしょう。より大きなリターンを得るために。
現状維持では決して大きなリターンは得れない。

負けることに強くなる
 近所の小学校の運動会でのこと。私が小学生の頃はクラス対抗で競い合うのが普通でしたが、どうもそうではないようなのです。競争を避けているように思いました。

 資本主義社会の世の中においては、競争原理が働きます。どんなに競争を避けるような教育を施したところで、競争社会において、ストレスに押しつぶされるのは目に見えています。まだまだ競争社会は続くでしょう。だから、競争と上手に付き合っていくことのできる訓練が必要です。

 競争においては、必ず

勝ち

負け

が生じます。普通、勝ちを得るのは一握りの人です。だから、負けを素直に受け入れることのできる心のコントロールが必要です。負けを受け入れるとは、

どうせ負け組だからチャレンジしない
なんでも勝ち負けで考える


という意味とは違います。勝者を素直に讃え、自らの現実を受け入れる、そして挑戦したいと思ったら行動をおこす。この心のサイクルは競争の中で訓練されて育つものだと思います。私は競争を煽るつもりはありません。

 ただ、競争社会の中にあって、自然に生きられる人が少なくなっているような気がするのです。そのために、あえて競争を避けるのは問題ではないかと思うものです。


後回し行動
大阪大学の池田教授は、肥満と負債には相関関係がある、つまり太っている人ほど、借金が多いという調査結果を発表しています。そして、この原因として「後回し」意識が大きな原因になっていると指摘します。

後回し行動とは

将来の利益よりも、目の前の利益を優先する

ことです。後回し行動の弊害は身近なところでみることができます。国の借金800兆円超、中毒財(たばこ、お酒)による健康被害などは、その最たる例と言えます。

 なぜ後回し行動が起きるのか

それは、ありのままの自分を受け入れることができないからではないかと私は思っています。今の自分をまっすぐ受け入れることができないと、今を浪費してしまうことになります。

今の自分が不満のため、手に入れやすい手段によって不満を一時的に消し去ろうとする

職場での肥満について。収入があり、仕事で成果を出していても、肥満になっていく人がいます。こういう人は要注意だと思います。「なぜなら心が枯渇しているから」です。つまり、こういう人にとって、既存の収入や仕事の成果、ポストは手に入れやすい手段以外のなにものでもないのです。それでも不満なので、肥満になっていくと考えられます。

この不満の根本的な解決は避けてはいけません。この解決には勇気と孤独に耐える力が必要です。
こどもの日の前に
 4月も最後の日になりました。季節の風物詩は桜から鯉のぼりへと移り変わってしばらくになります。こどもの日を目前にしていますが、我が家は女の子ばかり、いちばん上の子から、「なぜ我が家には鯉のぼりがないの?」と質問にあっています。

 家族にまつわる日は、「子供の日」、「母の日」、「父の日」、「敬老の日」とありますが、私はこれに加えて「夫婦の日」があってもよいのではないだろうかと思います。

①子供
②父、母
③祖父母


 このように階層的に書くとわかりやすいのですが、家庭の中心は夫婦です。夫婦関係は最もデリケートかつ重要です。良い夫婦関係を築くことなしに、良い子供関係を築くことはできないのではないでしょうか。「こどもの日」ですが、子供の前に夫婦のことを棚上げにしていないか考えたいものです。

 世の中にはすぐれた企業家、タレントが多くいますが、離婚している人も多くいます。家庭生活をするということは、すなわち家庭経営、家庭マネジメントです。離婚は家庭経営の失敗です。家庭をマネジメントすることができないのに、どうして他人、ましてや部下や会社をマネジメントできるでしょうか?
意外とこのことに対して、言及する人が少ないことに疑問を感じます。

 経営コンサルタントの大前研一氏は、著書『親が反対しても、子供はやる』の中で次のように述べています。

「自分が納得できる家庭がつくれなかったら、まず夫婦の最初の事業に失敗したことになります。たとえ会社で出世しても、根無し草というかあまり意味がないのではないだろうか。」


「家庭がしっかりしていないのに、外に出て日本をよくしようとか、会社をよくしようとか、お客さんの会社をよくしてあげますなどということは、おそらくできないのではないかと私は思っています。」

「私の場合、著作など、自分の作り出した作品もたくさんありますし、会社を起こしたこともあります。しかし、自分がつくったもののなかで、最も重要なものは家庭だと考えています。家庭はいちばん基本的な単位ですし、つくりあげる個人の価値観がもっともはっきり反映してくるものだと思います。」


大前研一氏は本物の経営コンサルタントだと思います。

IMGP1430.jpg




新富裕層と新知識層③
 次のような例え話があります。


 アフリカのどこかの国では、飼っている羊の数で社会的地位が決まるそうだ。ある日本人の女の子が、留学先のイギリスでそのアフリカのどこかの国から来た学生と友達になって「お前の実家では、羊を何頭飼っている?」と訊かれた。一等も飼っていないと女の子が答えたら、同情されたという話がある。
 この話は笑えない。羊をお金と言いかえてみれば、話はそっくりそのまま僕らにも当てはまる。羊に数で社会的地位を決める人が滑稽なように、僕らもまた滑稽だ。(島田紳助『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する』より)



 「お金」を「知識」と言いかえてみたらどうでしょうか。「知識」を持っている人が、必ずしも社会的地位が高いとは言い切れませんが、常識的に考えて「知識の豊かさ」と「お金持ち」は相関関係があるので「知識の豊かさ」と「社会的地位」も相関関係があります。なんだか3段論法のようですが、「知識」の量によって「社会的地位」を決める人がいたら滑稽かもしれません。

 それでは次の言葉からどのようなイメージを抱くでしょうか?キーワードは「飢える」です。

食に飢える。
お金に飢える。
知識に飢える。
愛に飢える。


このように並べてみると、マズローの欲求5段階ピラミッドを連想してしまいます。「食への渇望」は生理的な欲求、「お金の渇望」「知識の渇望」は安全の欲求、所属の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求と高次のカテゴリーに分類することができます。「愛の渇望」は所属、承認、自己実現とより高次になります。それでは、「お金の渇望」と「知識の渇望」と「愛の渇望」はどういう関係があるのでしょうか。所属、承認、自己実現はどんなにお金や知識があっても一人では成り立ちません。つまり、「お金」「知識」を得て、人(人々)から愛されることによってこそ、これらの欲求が初めて満たされるのです。

このように考えると、

「お金」も「知識」も「愛」をえるための手段にすぎない

ということになります。エネルギーとなって消費される「食」よりも、価値創造性、価値変換性のある「お金」や「知識」はポータブルな価値があります。さらに有形の「お金」よりも無形の「知識」のほうが
ポータブルです。4つのパーソナル資産のところでも述べましたが、今価値観は有形なものから無形なものへ、実(結果)から実を生み出す能力(種)へシフトしつつあります。

「知に飢える」「知識を渇望する」この言葉は無抵抗に善として受け入れられていると思いますが、私はあえて疑ってみたいと思うのです。もしあと1日しか生きれないとしたら、次のどちらを選ぶでしょうか

ひとりで書物を読むか それとも 家族のためにご飯を作るか

 私は読書が大好物です。「3度の飯より読書」と言えば大げさかもしれませんが、大好物です。読書を腹いっぱいして、満足した時にふと思うことがあります。「この満足感は、食べ物で腹いっぱいになったのとどこが違うのだろう」食欲とちがって、腹いっぱいになってもすぐ新しい本が欲しくなるのですから、知識欲は中毒のような性質があると言えるのかもしれません。そして、知識を形に残すためにアウトプット(メモ、ブログ)。ここでとりあえずの満足を覚える人は多いと思います。

 ブログは道楽である(大橋悦男『成功ハックス』より)




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