やっちゃば士の経営を楽しむブログ
やっちゃばに勤務するサラリーマンのブログです。
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やっちゃばの士

Author:やっちゃばの士
井上敬裕
1972年生まれ
千葉県浦安市在住
岡山県出身
血液型O型
家族;妻、長女、二女、三女
趣味;クラッシック音楽鑑賞

とある青果会社の管理職をしています。

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結婚の教科書
 ここのところ「どうすればよい結婚をすることができるか」ということに、特に女性を中心に関心が強まっているように感じます。ちょうど私が20代だった1990年代は、「キャリア、自立」ということが若い女性の関心を集めていたように思います。


1990年代          会社でのキャリア
2000年~リーマンショック 会社でのキャリアよりも起業、独立
リーマンショック以降     自己実現よりも結婚



かなり雑ですが、社会の状況を見て、自分ながらに感じた世界です。結局、会社では男性に勝てなかったり、自己実現できないと感じて、自分らしさを発揮できる起業、独立に方向転換し(ホリエモンブーム、カツマー、好景気、ブログの興隆)たが、現実は厳しく、独身で年をとってしまった前者(キャリア組)と数少ない成功者からもれた後者たちが、結婚に目を向けるようになったということでしょうか。


 テレビで結婚をテーマにしたレギュラー番組を今日やっていました。この番組は視聴率が高いようで、結婚をテーマにした番組はそのほかにも最近になって始まったものがあります。視聴率第1主義のテレビ局がこのような番組編成を組むことは、結婚についていかに関心が高いかということがわかります。


 結婚に関しては、個人的なプライベートな問題として「社会の規制」がないということを前にブログで述べたことがあります。「自由でOKだけど責任が伴う」のが結婚です。すべての物事の因果関係をたどっていくと必ず結婚に突き当たります。したがって、


いたずらにカップルを増やすのではなく、よいカップルを増やす努力が重要です。このことは、ただ子どもの数をいたずらに増やす少子化政策では限界があることにも関連してきます。


 これからは、おそらく「結婚の教科書」のような結婚の意味や価値にまで言及していく著書やセミナーがブームになっていくと私は予測しています。
塾に群がる親たち
 月に一度、日本橋のとある公民館において、農業の研究会に参加していますが、そのすぐ近所に中学受験のための予備校があります。研究会が終わって帰る午後9時ころ、その塾の前を通るとちょっとした人だかりがいつもできています。塾へ通う生徒の父兄の方たちです。警備員も出て、ビジネスマンの姿もまばらなこの時間帯に一体何があるのだろうと知らない人なら思うような光景です。


お金持ちの子=勉強ができる子=塾に通う子


というのが今の常識となっています。私の小中学校時代はちょっと違うような気がしました。私の育ったのは学区に信号機が一台もないような田舎で、塾に行っている子の家庭がお金持ちかどうかはわかりませんでしたが、


勉強ができない子=塾に通う子


だという認識でいました。1980年代と比べて今は、親の経済力も、学校の教育も大きく変化したでしょう。ただ勉強に対する基本的な姿勢は本来変わるべきものではないと思います。

勉強というのは「コツ」をつかむと、次々と応用がきくようになって、楽しくなってくるものです。勉強ができる子は、自ら能動的に勉強をしていくものだ思います。

長女が来年小学校に入学します。私は「ゆとり教育」に対する不安を持っています。「ゆとり教育」は受験競争への批判から始まったものですが、


勉強のできる子から教育の機会を奪った


と言っても過言ではありません。一番困るのは


勉強ができるけれども、お金持ちではない家庭の子供


です。塾に行くにはお金がかかりすぎるし、学校はまともな勉強を教えてくれないという板ばさみになってしまうのです。平等を主張してきた「ゆとり教育」が、皮肉にも結果的には教育の機会の平等を奪っていることになります。


私も妻も塾なしでそこそこの成績を得ていました。子供が塾なしでどこまで成績を伸ばすことができるか挑戦してみたいと思っています。






できちゃった結婚に思う
 あるニュースサイトを見ていたら、結婚するカップルのうち、26パーセントが「できちゃった結婚」ということでした。その割合は増加傾向にあり、昔と比べて当たり前となってきているようです。「でき婚」専門の結婚式サービスメニューもあるようで、デキ婚

オメデタ婚
授かり婚


などとソフトなネーミングで呼ばれているようです。このようなソフトなネーミングが普及してくると、デキ婚に対する意識的なハードルはますます低下してくることでしょう。デキ婚が良いか悪いかは別にして、私はこの傾向は問題があるのではないかと思っています。なぜなら、


デキ婚の離婚率が高い


という事実があるからです。リスクとリターンという観点から考えたとき、リスクのほうが大きいと私は考えます。確かに、子どもができたことで、結婚に早く踏み切ることができるといった利点もあるかもしれません。しかし、これは熟れない果実を早くもぎ取るようなもの、ものごとの順番を間違えて進めることと同じではないかと思うのです。離婚率が高いということは、結婚という果実がうまく実りにくいこということです。

子どもがいなければ、夫婦間だけの問題で解決するでしょう。ところが、デキ婚の場合は子どもが存在します。デキ婚夫婦にとっての子どもとはどのような存在なのでしょうか。

結婚のきっかけとなったキューピッド

というプラスに捉えることもできますが、これはあくまでも結婚生活がうまくいった場合にいえることであって、逆の場合は、

最大の重荷であり、不幸の原因

となります。人間の心理とは不思議なもので、状況によって180度変わるものです。これでは、子どもがかわいそうです。不思議なことに、デキ婚でできた子どもは同じように自分たちもデキ婚をする傾向があります。

デキ婚で離婚した場合、だいたい母親が子供を引き取って育てます。母親にとっては、子どもは自分の肉身という意識が強くあるからでしょう。このようにして、シングルマザーが誕生します。シングルマザーの生活は大変です。有能で稼いで活躍しているシングルマザーもいるようですが、常識的に考えるとシングルマザーの生活のリスクは大きいです。


デキ婚は長期的にみるとリターンよりもリスクが大きい


ソフトなイメージの言葉の背後にある現実を見るべきです。デキ婚以外にも、

刺青→タトゥー

のようにソフトなネーミングは、抵抗感を少なくする魔力があります。特に、周りに流されやすい日本人はこの魔力に簡単にかかってしまいやすい体質にあります。また、自分の生き方に満足していない人ほど、せつな的な行動を起こしやすい傾向があります。

「軽いノリで」という言葉にの裏には、「刹那的に生きている」「不満足な思い」

という真実が隠れています。


長期的に自分はどのような人間になりたいのか、どのような人生を送りたいのか、本質を自分の目で見究める姿勢が必要だと思います。
幸せな結婚とは
 今日の東京の夕方のゲリラ雨はすさまじいものでした。職場を出たとき、都心の空は真っ黒い雲が垂れ込むように広がってきていて、とても不気味に感じました。昨日から妻と子供が岡山に帰っているので、丸の内の大きな書店に行こうと思って、車を都心方面に走らせました。芝浦あたりまで行った時、大粒の雨が落ちてきたので、「これはまずい」と丸の内を諦め、レインボーブリッジ方面に方向転換。橋のところどころはものすごい浸水です。

 私はいつもオーディオでクラシックを聴いていますが、滝のようにフロントガラスに叩きつける雨の音の中でバッハの平均律クラヴィーア曲集がいいと思いました。なぜなら、平均律はピアノで音がはっきりしているので雨の音が激しくても曲の音がよく聞こえるから。そして、心を静めたいと思ったからです。

 なぜ、心を静めたいと思ったか。ランチタイムに「酒井法子容疑者逃走」の報道を見てから、ずっとこのことが気になっていたからです。私は、彼女のファンではないのでファンとしての特別な思いはありません。それではなぜ気になったのか。それは

女の幸せとは何だろうか

ということを考えざるを得なかったからです。当然、このことはこの「酒井法子容疑者逃走」事件だけが原因ではなく、それと前後して起こった女優たちの事件・出来事が関係しています。

矢田亜希子の泣き崩れる姿
酒井法子容疑者の逃走
大原麗子の孤独死


華々しい活躍と栄光のあとに訪れた不幸。そして、この不幸の原因が結婚にあること。結婚するときは愛し合って最高の気持ちで結婚したはずです。ところが、どの夫婦も時間とともに関係が冷え切って、最終的にこのような結果に。

あまりにも切ない気持ちです

ある意味、出会いは運命的なものです。出会いを受け入れたなら、そこからが本当の出発です。ある統計では、年数とともに実に多くの夫婦の関係が遠ざかっていく傾向にあるようです。


年数とともに夫婦の心が近くなっていくこと


こそ男と女の幸せではないでしょうか。

明日は私も岡山に向かいます。
ソーシャル・キャピタル
 前回のエントリーで、「子供は公共財」であると述べました。公共財と言えば、国や自治体などによって供給される公園、道路、消防、警察などの財、サービスのことを言います。子供が公共財だとすると、私たちは子供から便益を得ることができるということになります。短時間では便益を受けることはできませんが、長期的将来的に見れば多大なる便益を受けます。

 よりよき公共財を育てるためには、ソーシャル・キャピタルが必要です。


ソーシャル・キャピタルとは、人々が持つ信頼関係や人間関係(社会的ネットワーク)のこと
詳しくはウィキペディア参照


を言います。ソーシャル・キャピタルは昔から重要な要素でしたが、高度経済成長期を経て進んだ個人主義、物質主義、無関心主義の限界と破綻から、今後の社会の価値観のトレンドになっていくでしょう。いや、人間が関係性の中で存在価値を見出していく存在ならば、本来の価値観に帰るといった言い方のほうが適切かもしれません。

  最近読んだ2冊の書に、関係性回帰の方向に時代が流れつつあることが書いてあったのを思い出したのでちょっと上げてみます。

宮台信司氏の『日本の難点』
現代社会を述べるにあたって、「再帰性」というキーワードがなんども登場します。わかりにくい言葉ですが、正しい答えがない、ゴールがないといったような意味で私は捉えています。宮台氏はこの言葉の定義を述べていませんが、「底の抜けた世界」という表現をたびたび使っています。このような社会にあって、「他者へのコミットメント」が今後重要であると述べています。

三浦展氏の『シンプル族の反乱』
シンプル族とは、著者が作った言葉で、端的に言うと「ものを買わない消費者」のこと。シンプル族はお金がないわけではなく、自分たちの価値観に合うものにしかお金を使いません。他者との関係性を重要視し、財産の私有にはあまり価値を置かないといいます。著者はシンプル族がつくる社会を「消費社会」ではなく「共費社会」と名付けています。シンプル族の「住」ということで、コーポラティブハウスのことが挙げられています。

シンプル族に人気のあるコーポラティブハウス
人とのつながりを重視
子育ての観点からコーポラティブハウスを選ぶ
コミュニティの価値を重視


興味深いのが宮台氏も三浦氏も、「関係性社会」の対極にある概念として「モダン」という言葉を使っています。モダンとは直訳すれば現代、今風という意味なので、現代社会は「ポストモダン」ということになります。モダンは「高度経済成長期でいうところの進歩。経済的、技術的進歩に最も価値観をおく社会的概念」ということになります。

このように、ソーシャル・キャピタルが大きな価値を持ちつつあります。今後の「家族のあり方」「働き方」などを考える上で、外せない概念になるでしょう。

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